日 時 平成22年12月4日(土)
場 所 宝塚東公民館
講 師 田辺眞人氏(園田学園女子大学名誉教授)
絵地図を見ながら地元の武庫郡をはじめ河邊郡、菟原郡等
の宿場町や集落等についてご説明をいただきました。
中世の武家社会における地図や道標は、世が戦国時代で
あって他国からの侵略を想定して、全て軍事機密としたため、
公表されていませんでした。
これが、関ヶ原の合戦(1600年)〜大阪冬・夏の陣(1614・15年)を経て、江戸時代になると世間も落ち着き、元禄時代(1700年頃)になって本格的な平和が訪れてやっと巷に地図らしきものが出回るようになってきました。
今回は、1750頃に発行された「摂津国名所大絵図」の改訂版である「摂津国名所旧蹟細見大絵図」(1836年)によってのお話しでした。(あくまでも地図ではなく絵図です。)
その後、明治20年頃に政府が陸軍に詳細な日本国地図の作成を
命じますが、これはイギリスから外交ルートで自国の地図を要求さ
れたことに端を発しています。
それが完成するまでは、江戸時代の伊能図(伊能忠敬調べ)に
よって対応したそうですが、これも結構正確だったとのことでした。
(右は、「摂津国名所旧蹟細見大絵図」の一部です。)