あまったれた壁

◇◆その壁はハードル的に低いと思う◇◆

先日、友人とカフェでお茶をしていました。
いろいろと話をしていて、日本の貧困の話題になりました。
友人も僕も現在はフリーターなので、たとえば喫茶店に入っても
コーヒー一杯で何時間も居続けることが多いです。
何度も水のお代りをして、店員さんも嫌なお客だと
思っているかもしれませんね。

そんな中、その友人が言いました。
「でも、松尾さんはマシだよ。親が(国民)年金を
払ってくれてるでしょう」

ああ、そうなんだあ〜と思いました。
彼は僕(みたいな月収数万円のフリーター)は
当然のことながら、家にお金をいれているわけがないし、
年金も親任せだと捉えているのですね。

反論は何もしませんでした。
彼は僕に何を見出しているのか、わかるような気がするのですね。
彼の気持ちはよくわかります。

二人ともフリーター。
彼は社会問題にとても強い憤りと共に
変えていかなくてはと活動しようとしている。
そのために勉強をし、ネットワークを拡げている。
一方、僕はノンポリに見えるでしょう。
そんな僕にたいして、何かしらの様々な想いを感じてしまうと思います。

僕は書くことで、社会活動がしたいと
以前このブログで書かせて頂きました。

その想いは強くなっています。
僕は友人のように行動派ではないが、
じっくりと書く作業であるならば出来るし、
もしかしたら、ひとの心に訴えるものが書けるかもしれない。
(あくまでも、もしかしたらですが…。)

川西のNPOにアルバイトへ出かけるとき、
ホームレスらしき方々を見かけることがある
そこで僕がいつも感じることが
「僕もああなっていたかもしれない」
ということです。

僕はたまたま親に一定の経済力があったから、
月収数万円でも養ってもらえる。
あたたかい家でごはんを食べさせてもらえる。
これは大変恵まれていることです。

せっかく恵まれた環境に居させてもらえるわけだから、
だからこそ活かさないと。勉強・体験・経験を積み、覚え・習得し、
僕が出来ることをしなければと強く思います。

それは来年の抱負などではなく、
いつでもその気持ちで居続けるという気持ち
勉強はいつどこでも始められるわけですから。
「環境が整ったではなく、自分で環境を整えればいい」
「環境など整えなくても、やろうと思えば出来る」というもの。

今年のクリスマスはショートケーキを2個いただき、
そんなことを考える日曜日の日和です。

※写真とブログ文章の内容とは関係ありません。