行政をあてにしない気骨で、つながらナイト!

若者支援「ソウルネット神戸」結成にむけて!
 

 草の根運動が企業や行政に取り込まれて、行政が段取りした土俵の中で活動する団体が増えてきた。これは、本末転倒なのではないか。もともと行政は臭いものにふたをして、金権政治から抜け出せず、市民のための政治ではなく、役人の思うがままに税金が使われてきた。国民不在のまま推移してきた戦後社会が破たんし、生まれ変わるしか生き残る道がないと気付き始め、やっと市民の生活にも目をむけはじめた。しかし、その反動も一方には根強く残っていて、官僚政治はなかなか揺るがない。

 市民団体は、国や県が気に入ろうが入るまいが、いますぐに手を差し伸べないととりかえしがつかない問題に取り組んでいる。不登校の場合も同様で、20年前、フリースクールを始めたとき、役人や教育者は「しろうとが、なにをはじめたんだ」という態度であった。学校外に子どもたちの居場所がなく、自宅に息をひそめてとじこもるしかなかった時代、教育者は「不登校は自己責任」とたかをくくっていた。「民間を認めるわけがない。」と2000名の署名用紙もつきかえされた。それが12年後認められ、フリースクールに通えば通学扱いとなった。12年間放置していた責任はどうなるのだろう。それまで苦しんだ子どもたちはどうフォローされたのか。その間に、兵庫県でもいじめと体罰による自殺が相次いだ。もうすこし早く認めていれば、死ななくてすんだいのちがあったことだろう。後手後手の行政に、子どもたちの人権を安心してまかせられないという思いは消えない。

 でも、行政から市民に歩み寄ろうとする姿勢があれば、無下に断る必要はない。あてにはしないけど、一市民としてよい政治を期待している。エンジンなしでも漕いでわたる気構えはあるけど、エンジンをつけてくれるなら拒みはしない。しかし、いつの間にか行政主導に陥らないよう気をつけよう。あくまでも草の根は、市民という土壌から発生し、市民と市民が手をつないで、大きなうねりを起こしていくものだ。やがてその波は、政治を変え、国を変えていく。机の上で計算する役人たちのプロジェクトに、いのちを吹き込むのは、市民ひとりひとりの責任であり、それが市民運動だと思う。