日 時 平成22年12月21日(火)
場 所 西宮中央公民館
講 師 細川正義氏(関西学院大学副学長)
NHKでは、昨年・今年・来年と3年に渡り、司馬遼太郎の
「坂の上の雲」を取上げて放映しています。
司馬さんはこの小説の中で、正岡子規の扱い、秋山兄弟
の扱い、そして乃木大将の扱い等々、実にリアルに描いて
いますが、これは氏の真情である言葉、すなわち「私は資料
を読んで読んで読み尽くして、その後一滴、二滴出る透明な滴を書く。」に表れています。
あらすじは、ここでは今更説明するまでもないことですが、表面的には日露戦争をヨコ糸に、正岡子規と秋山好古・真之兄弟の交流をタテ糸に描いていますが、しかし、真の目的はその裏にありました。
この作品が産経新聞に連載されたのが、昭和43年4月〜47年8月までなのですが、この時代は丁度体制を批判する学生運動の真っ只中であることに注目しなければなりません。
もし明治の時代に、日露戦争がなかったとすれば、日本の若者達は世界に羽ばたき、知識を吸収し、ロシアとも友情を深めたことでしょう。
時代は違えど同じように昭和の若者は将来あるのを忘れ、目の前の運動に没頭していることを憂い、司馬さんは過去の教訓・現在の状況・未来への希望を若者達に示した警鐘ではなかったのでしょうか。
すなわちこの作品は、明治の青春群像を描いてみせ、昭和の若者に未来の大切さを提唱しているというわけです。
なまじっか勝つはずのない戦争(人口:日本4600万人、ロシア12000万人、領土:日本40万K㎡、ロシア2500万K㎡)に運よく勝利したのが、後の太平洋戦争への引き金になったともいえます。