『千利休と茶の湯』

(%紫点%) 後期講座(9月〜1月:全14回講義)の第14回講義の報告です。
・日時:平成23年1月25日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 「千利休と茶の湯」
・講師:桧本 多加三(ひのもと たかぞう)先生(雑誌「堺泉州」編集長)
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「千利休について」 (関係年表)
・室町末期・大永2年(1522年)〜安土桃山時代・天正19年(1591年)
・1522年生まれ。(堺・今市町に生まれる)
・1543年(天文12年):ポルトガル人、種子島に来て鉄砲を伝える
・1555年(弘治1年)(34歳)〜1570年(永禄13年)(49歳):宗易(利休)が茶人として円熟し、名声を高める
・1558年(永禄1年):木下藤吉郎(秀吉)、織田信長に仕える
・1575年(天正3年)(54歳):長篠の戦。信長の京都・妙覚寺の茶会で、宗易が茶頭を務める
・1576年(天正4年):信長、安土城を築き、ここに移る
・1582年(天正10年):6月−本能寺の変(信長没49歳)。11月−秀吉、山崎で茶会
・1587年(天正15年)(66歳):10月−北野天満宮において大茶会。利休、宗及、宗久が茶頭を務める
・1590年(天正18年)(69歳):利休、秀吉の小田原征伐に従軍
・1591年(天正19年)(70歳):利休の良き庇護者・秀長(秀吉の異父弟)没(51歳)。2月−利休、堺で蟄居していたが、京によびもどされ、聚楽屋敷にて自刃。享年70歳
・1592年(文禄1年):秀吉、諸大名に朝鮮出兵
・1598年(慶長3年):豊臣秀吉没(63歳)

「茶の湯あれこれ」
・お茶を飲む文化は、鎌倉時代に中国から伝わったのが始まり(鎌倉時代に、日本臨済宗の開祖・栄西[1141年〜1215年]が臨済禅とともに抹茶法をつたえたことによる)
・茶の湯を発展させたのは堺の商人
・「茶の湯御政道」と信長の名物狩り
・秀吉と北野大茶会
・三千家…表千家、裏千家、武者小路千家
・「茶禅一味」
・茶道のもてなし etc.
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.千利休像(一般的、堺市)
・堺出身の茶道の大成者。茶道千家の始祖であり、茶聖と称せられる
・堺の裕福な町衆、魚屋(ととや)に生まれ、名を与四郎といった
・北向道陳(きたむきどうちん)から東山風の茶の湯を学び、武野紹鴎(たけのじょうおう)から村田珠光(むらたじゅこう)風のわび茶を学んだ
・大徳寺の大林宋套(だいりんそうとう)に参禅して、宗易(千宗易)の法号をえた(大徳寺…臨済宗、・京都市北区紫野。茶の湯文化と縁が深く、一休宗純をはじめとする名僧を輩出)
・茶の湯をもって、織田信長に接近し、その死後は、豊臣秀吉の茶頭(さどう)として仕えながら、茶道を大成させた。(信長の茶頭…千利休、今井宗久、津田宗及)
・天正15年(1587年)の北野の大茶会では、采配を振るうなど、”天下一の茶匠”として権勢をふるったが、小田原の役(北条攻め)の後、秀吉の怒りにふれ自刃

2.茶の湯の隆盛は?
・村田珠光…歌舞音曲、風呂、食事などワンセットの”もてなし”の中で、茶の湯だけを分離独立したといわれる
一期一会…戦乱の世は、宴席よりも”一期一会”を重んずる茶の湯に人気が集まる→自分が生きている時間を愉しむ。人生をかみしめる。
・寺院への寄進と茶道具の収集…堺の大商人
三好一族…信長以前の覇者、三好一族が茶の湯をたしなむ
織田信長、秀吉…天下の覇者とは、 ”軍事力の強さと茶の湯をたしなむ”こと

3.利休をとりまく茶人たち
・武野紹鴎(1502年〜1555年)…利休の師
・北向道陳(1504年〜1562年)…利休の師
・山上宗二(1544年〜1590年)…利休の弟子
・津田宗及( ? 〜1591年)…堺の豪商・天王寺屋の主人
・今井宗久(1520年〜1593年)…信長に最初に茶器を持っていき取り入る。(このことにより、”堺が火の海になる”という危機からまぬがれたといわれる)。(政商・今井家−五ヶ荘の代官をはじめ、子孫は、徳川前期には生野銀山の代官も)
・古田織部(1544年?〜1615年)…利休の高弟。武家的茶道の第一人者

4.三好や信長・秀吉と堺
・三好勢や信長らの戦国大名にとって、”堺と結び、茶の湯に通じる”ことは、財界人と親しくなることであり、当時の経済界トップと親しむことであった

5.利休の死の謎(自刃、切腹の理由)
①有力通説…「大徳寺山門上に利休の木像を置いたという理由」、「利休が南蛮輸入品や茶器などで不当な利益」 ⇔ 側近との対立
②通説…「利休のわび茶に対して、秀吉は黄金の茶室」、「利休の娘・お吟の秀吉側室の断り」、「秀吉から家康への鞍替えを疑われる」、「朝鮮出兵に反対と思われる」
桧本講師の推論…『秀吉に近付きすぎ、茶の湯のみならず、政商としてまつりごとまで口出しをして、側近にうとまれた』、『信長の茶頭から、秀吉の茶頭なになったものの、利休のプライド(茶人としてのみならず人間としての)が、秀吉にとって、いつしか”目の上のたんこぶ”になっていって、そこに木像や暴利をむさぼっているという話が引き金になったのであろう』
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(%青点%) 平成22年度の後期講座(9月〜1月:全14回講義)は、今日(平成23年1月25日)で終了しました。講師の先生並びに受講生の皆様に、厚く御礼申し上げます。
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(%ノート%) 【今後のスケジュール】

(%雪だるま%) 《2月は、冬休みです。》

(%緑点%) 「3月から平成23年度の前期講座(3月〜7月)がスタートします。」
・3月3日(木)pm13:30〜 前期講座「文学・文芸コース」(第1回)
 「文楽の楽しみ〜文楽入門〜」(本城佳恵子先生)
 
・3月8日(火)am10:00〜 前期講座「歴史コース」(第1回)
 「東アジア世界」(笠井敏光先生)
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