ひきこもりが社会に立ち向かっていくために

◇◆松尾個人にとってキーワードは情報と知識◆◇

ずっと以前にこのブログで、ウツでひきこもっている方も
ライフウォーカーだと思います、と書きました。
自己の苦しみを知る—その結果、病状が治った時、
全てのケース(人)がやさしい活動(方向性)に向かうとは
限らないと思います。

自分はあの苦しみを切り抜けて来たのだ、
だから自分は—という方向性に向かうのは
人として間違ってはいるかもしれないが、
人間としてどうしようもない部分だと思うのですね。

この考え方はどうなのでしょうか…。

当然、正しいという考え方ではないわけですが、
人間として仕方のない(弱い)部分だと思うのですね。
松尾が自分よりも病状の良くないかたをみるとき、
みなさんが松尾をみるとき、
そこに偏った見方がまったく無いと言えるのでしょうか…。

僕はその部分を批判・否定はしません。
この社会で生活するということ
厳しいものがあったり、
恵まれた環境にいたり、
苦労の末、現在の成功を手に入れたり、
苦労しても成功できなかったり、

様々なライフウォーカーが居て、
その一人ひとりが、本当にいろいろな感情を持っていて、
その赤黒くなるほど熱せられた鉄の塊のような感情にたいして
良い悪いとかそんな道徳的な事柄は通じず、
人間とは斯くも弱く、強く生きていくのですね。

僕は弱い人間です。

そんな僕は今までは親の保護のもとで
暮らしていれたのですが、
これからは徐々にそうはいかなくなるでしょう。

当たり前なのです。ひきこもっていようが、アルバイトや
正規で働いていようが、面倒をみてもらう立場から
自分がみていかなくてはいけなくなる
少なくとも自分の面倒は自分でみなくてはならなくなる。

来るべきその時のために何をするのか
ここで本題の「ひきこもりが社会に立ち向かう」に入らせて頂きます。

松尾のケースではキーワードは情報・知識だと捉えています。
情報はネットや新聞で得られますよね。
知識は新聞や書籍で得られます。

そう、それだけの範囲内なんです。
わざわざ、セミナーや学校に行かなくても
世の中に立ち向かっていける情報・知識は得れると考えます。

これは「ひきこもり」が動ける、得られる範囲内と考えています。
じっさい松尾は、ネット・新聞は自宅で、
書籍は西宮北口のジュンク堂や、川西や梅田の紀伊国屋書店に行くくらいです。
お金はかかりますが、得た情報・知識は何よりも変えがたい
ものがあると信じています。

現在は「ブログ」があります。
電子書籍というものも徐々に各社(アマゾン・アップル等)が
事業展開していくと思います。
私たち一般の市民も、今までのように高額な自費出版に頼らずに
(電子)書籍が出せる時代が来るかと思います。

その時のために、今のうちから情報だけではなく、
知識も吸収しておかなければと考えています。
その時になってから始めるではなく、今のうちから始めておく。

そしていろいろな文章を書いていく
発想も情報や知識がないと出てこないでしょう。
だから勉強しておきます。
ネットとひきこもりは接点が深いケースが多いですから
あとは知識ですよね。

何も電子書籍作家だけが道じゃない
情報・知識を持つということは、何にせよ強く生きれる
と思うのです。PCの技術(知識)を身につければ
人と接する仕事は苦手だという方でも、
いろいろな可能性が拡がると思うのです。
(仕事でという意味です。)

松尾は以前、ある福祉施設に勤めていたことがあるのですが、
業務が下手で解雇されてしまった。でもその時の同僚だった方が
携帯サイトのアフィリエイトの副業をされていて、
松尾はPCの技術的なことは全くといってよいほどダメだったのですが、
文章なら書けるとその携帯サイトの文章を書く仕事を請け負わせて
もらっていた時期があります。

けっきょく、その携帯サイトもアクセスが少なく、
アフィリエイト収入が無かったので、それほど長い期間の
仕事にはならなかったのですが、自宅(自室)で仕事をしました。
その同僚のかたも、自室のPCに向かって作業をしていました。

言うなれば僕はソフト面、その方はハード面の作業をしていました。
僕がPCに詳しければ、その逆もあり得るでしょう。
一日中、PCに向かっていれば、また体調も悪くなってしまいますが、
その辺のワークバランスが取れれば、
そして何よりも上質なものを作成できれば、
仕事に結びつくのではないのでしょうか。

今の世の中、いろいろな仕事の仕方って種類って
あると思うのですね。
そして今回の話は、あくまで松尾個人のケースだと捉えてもらえたらと
思います。ただ、みなさんの何かしらのご参考になればと思っています。
(高慢に聞こえるかもしれませんね。)

最後に—
僕は僕なりにライフを歩いていますが、
”あえて”苦しんで歩く必要は無いと考えているのです。
回避できる苦しみならなるべく避ければよいと考えるのです。
(考え悩むのは良いのですが。)
エンジョイしたいし、ジョギングもしたい(ライフを楽しみたい)。
そのために必要なことをしておこうという考え方なんです。