経験を活かしたサポート

◇◆当事者は(自分は)間違っていないと
 錯覚することもあると思う
◆◇

つらい経験をすると、自分が世の中で一番不幸で、
自分は『サバイバー』なのだから、そのカテゴリーに
関しては、専門家よりもよく知っている
と、勘違いしてしまうことがあります。

そう考える傾向自体は、”人間としては”間違いではないと
思いますし、人とはそんな人間くさい部分を持って
苦難の後の生活を営んでいくのだとも考えるのですね。

先日、あるNW会議に参加しました。
「生きづらさを抱える子どもたちへのサポート」
をメインテーマに、現在は勉強会のスタイルで
催されているミーティングです。

講師の方の講義のあと、参加者全員のコメントがあったのですが、
松尾にまわって来て、どうしようかなあ、何を言おうかなあと
とっても迷いました。

何か支援に関することをコメントしようか
問題点を提起しようか(全て、当事者としてです)、
けっきょく、自分の経験したこと、最近感じていること等を
お話させていただきました。

自分の中で整理しておきたい部分でした。
何かしら”大切な”方向性を見失いがちになるので
そうさせていただきました。

タイトルのとおりの内容に結びつくのですが、
自分の経験が悲惨すぎる(と自分は感じている)と
自分は完ぺきなサバイバーであり、専門家よりも
この領域では上なのだという錯覚に陥りがちになるかもしれません。

それは、当事者として生きるのならよいのかもしれません。
ですが、少なくとも松尾は、経験したことを活かして支援する立場に
なると決意しているはずです。

『僕はこんなに大変な経験をしたんですよ』

という”結論”を言っておしまいではないはずです。
経験を話すのはもっともだと思いますが、
では、そこから何が生まれるか

発達障がい的な傾向が、子どものころからあったとしたら、
その部分をどう伝え、支援に役立ててもらうか

不登校になりひきこもりになり、二次的障がいで精神的疾患に
なってしまったのなら、その経験を、今の不登校・ひきこもりの
子ども・若者サポートにどう活かしてもらうか
(これは、以前のブログ記事で書かせて頂いた
発達障がいの子どもにたいするサポートでも
効果のある経験だと思います。)

自分の経験が、(不登校・ひきこもりの)一般的な経験でもなく、
病気や障がいの全てでもなく
千人いれば1000ケースあると考えるのが、客観的な判断だと
思いますし、支援者はそうするべきだと思うのですね。
(また、偉そうに言っていますね…。)

難しい事柄(問題)ですが、自分が活かせること(出来ること)を
踏まえ、言動し、チームワークで支援していくのだと思います。

『支援者が動きやすい体制、利用者のための支援』

双方の側から考えていくと、支援とはスムーズになる可能性が
ありますよね。(言葉で述べるのは簡単なのですが…。)

これからも、様々な場面で経験し、勉強し、自分の知識・スキルを
高めていきたいです。

≪坂の上の雲をつかむのではなく、もっと身近な木を
一歩一歩、登るような気持ちで生きていきたいです。≫