ひとつの方向性

◇◆いろんなものを胸に押し込んで続けているのだと思う◆◇

週末は、どこにも出かけず、震災関連のニュースを
見ていた方も多くいらっしゃったかと思います。
僕は関東育ちで、埼玉県と千葉県に現在でも
親戚が数家族住んでいて、皆、無事との連絡を受けました。

父の弟さん一家(僕にとっては叔父さんやいとこたちです)も
埼玉県に住んでいるのですが、埼玉県は他の県に比べると
被害はひどくはなかったようですね。
父は、この災害に大きな圧力・プレッシャーを感じているようで
地震発生の11日(金)から新聞やテレビをずっと見ています。

プレッシャーの詳細については、まだ聞けていません。
理由に関して考えてみると、
父も僕も阪神淡路大震災を経験していません。
(兄は配属先の和歌山県で経験しました。
和歌山県でも揺れたそうです。)
父は東京で会社員をしていたのですが、
「地下鉄サリン」の日、
千代田線・日比谷線に乗って通勤していたのですね。

その日(1995年3月20日)は月曜日で、父は会社での
当番日でした。当番は皆よりも早く出勤して、
仕事の準備業務等を行うのですね。

「地下鉄サリン事件」が午前8時代でしたから、
少し遅れ気味(定刻通り)に家を出ていたら、巻き込まれていた可能性が
あったのです。その日は一日中、親戚から電話がかかってきて、
母が応対していました。

僕は何もわかりませんでした。
当時は病状が悪くて、ですが完全ひきこもりなので、
医療にもかかっていなくて、テレビも新聞も
見なくなっていました。
小説は読めたので、よく読んでいました。

野茂英雄が大リーグに渡っていたことも知らなくて、
松井秀喜とイチローがプロ野球で大活躍していることも
知りませんでした。外界の情報をシャットアウトしていたのですが、
本当の意味でのひきこもりになるのでしょうか。

話を元に戻しますね。
父は運よく、サリン事件には遭いませんでした。
そして定年後、関西に戻ってきた。(もともと僕の生まれは宝塚市です。)
戻ってきたのは97年の春でしたが、
当時はまだ宝塚市内にも仮設住宅がありました。
震災の爪痕がまちのいたるところに残っていました。

そして、今回の東北関東大震災が起きました。
父は今日も新聞とテレビを見ています。
母とはいろいろと話をしていますが、想いが沢山あると思うので、
僕は中には入らないようにしています。
(それがよいのかわるいのかはわかりませんが…。)

僕も新聞はよく見ますが、スポーツ面で気になる記事がありました。
サッカーの長友佑都選手と内田篤人選手と
陸上の為末大選手の記事です。
冷静でいるというのは無理な話だと思いますし、
自分の中からわきあがる想いがプレイにも言動にも出ると思います。

その三名の選手だけではなく
多くのアスリートたちが想いを発しています。
為末大選手のおっしゃるとおりに、いずれ、
「自分たちだからこそ対峙できる時」
が来るのだと思います。(僕はアスリートでは
ないので偉そうに言える立場ではありませんが…。)

ひとつの方向性に向かっている気がするのです。
それは何かしらの団体や個人や、有益無益な事柄ではなく、
人間の心からの想い・気持ち・感情が様々なやり方はあっても
方向性が出来てきていると思うのですね。

「人間の本質」とは、「生への想い」とは、「人への愛情」とは、
何か崇高な域を超えた、人間らしいものから生まれてくる
それが本当の援助(サポート)であり、ケアであり、
そして『安心』に繋がるような気がするのですね。

「ひきこもりのくせに、エラそうなことばかり言うな」

とのご批判、最もだと思います。
ですが、どなたにも見えてきているのではと思ってしまうのです。
苦難はまだまだ続くのだと思いますが…
ひとつの方向性が見えてきているのだと思うのです。
人類が今までに培ってきたものでしょうか、
特定の宗教でも、哲学でも、科学でもなく、
人間だからこそ持ちえる、人間らしい方向性

「私たちは人間という種族なんだ…」

と一人部屋にこもり、考えています。