遠回りをしたいといいながら、すぐそばのものばかり追いかけて
叫んだら負けだと言って、歌うってことでごまかそうとする。

誰かきてくれたらいいのにと、誰にも言わずに期待して
横殴りの群衆の隅で、書きなぐった曲をうたう。

思い切った事ができないからと、遠くの結果を目指し
どうしたらいいのと規則的な話をする。

とびちったゴミをよける人はいても、それを拾って戻す人はなく

年齢を言い訳に何もせず、年齢を権力に人をだまらせる。
理由をもとめて一年が過ぎて、目標を求めて半生がすぎる。

追いかける事が幸せなら、それは充実
あきらめないことに責任を押し付け、不幸だという人は多い。

あきらめも幸福の一歩には違いない

救済というおせっかいは氾濫し、
ほったらかして食べ物を腐らせるひとが溢れる。

時間ばかり削る毎日には 内容のないやりとりが必要で
内容はないのに、いいとか悪いとか決めつける、という傾向。

良く知りもしない世間を批判して馬鹿にする事ばかり考えて
自分が馬鹿にされていることも知らない。

判断である。
人間は、判断に躊躇するから、可能性が生まれる。

いっぱいいっぱいの可能性

僕の幸せは、そんなところだろうか?
桜の開花にはに似合わない文章だけれど
僕は、思った事をがまんできないで毎日過ごしてしまうのである。