被災地だけではなく、これからの日本全体の不登校・ひきこもり問題

◇◆この問題だけでも、これからどんな状況になるのか
 わからない
◆◇

先日、「ルート」がありました。その中で、ある参加者さんと、
震災について話をしました。バイトの場、居場所においても
やっぱりタイトルどおりの話題が出たりします。

以前にこのブログで、少しだけ触れましたが、
これからは、震災の影響で、被災地(もしくは周辺地)だけではなく、
遠く関西まで、影響がでてくるだろうということです。

たぶん、社会学者や教育学者はリサーチ等を始めているかと思います。
それほど、確実に来るであろう問題だと思います。
研究者でない松尾でも、多少は予測できることなのです。

(もう、だいぶ前のような気がしますが…)
被災地の完全ひきこもりはどうなるのだろうと危惧したことがありました。
まだ現地の状況が把握されていない状況もあるのですから、
どうなったのかはわかりません。(マスメディアにも登場はしません。)

不登校・ひきこもりの問題は、イジメ(学校)だけが要因ではなく、
家庭環境、発達障がい・精神疾患等、複雑に関わってくるので、
その問題が、今までは何とか家庭や地域で見守る—という段階
だったものが、その枠を超えて、枠組みなどまだ到底組めない、

『荒れ野原での家庭崩壊』
『”健全な”学校が無い中でのイジメ』

人間の気持ちは弱い部分へ向かうことがありますね。
みんなが助けあいの中で生活できるのかといったら
違うのではないでしょうか。(もちろん、多くの方々に
助け合い精神はありますが、生活の困窮と共に
気持ちまで苦しくなってくるのではという意味です。)

そして、これは被災地だけの問題なのでしょうか。
研究者は研究を始めているかと思います。
(そう信じたい。これからでもやって欲しい。)

一か所にじっと居られない子ども・若者・おとなが多くいます。
かれらを優先的に、”住宅”に入居していただくという
プランは少しずつ実行されているようです。

それは、良かったのですが、”住宅”に入れば、
じっとしていられるのかどうか—とてつもなく怖ろしいことが起こり、
みんな避難したり、大けがをしたり、亡くなってしまった人もいる。
その中をくぐりぬけ、”安全”な地へ来た。
本当にその場で”こころの中は”安全なのだろうか。

感受性が強すぎ、感受性といっていられない状況も
現在のこの国にはあるのだと思います。
感受性が強いとはいろいろな意味があるのですが、
こころの病を持っている人たちが、まだ被災地にいるのでは。
病状が悪化していく、でもどうすることもできない、その状況。

家族や親せきや、友だちが亡くなったりして、不安定になる子どもたち。
閉じこもってしまわないだろうか。発病しないだろうか。
病状が悪化しないだろうか。そのこころは、『シンドローム(症候群)』
になりはしないだろうか。
(日本全体の社会的な問題になってしまわないかという意味です。)

ただ、危惧したことを羅列しただけに過ぎません。
ですが、関連した事柄がさらに関連して、
悪い方向へ繋がってしまって、悪い方向へと廻り巡ってしまう。
そういうことが十分あり得るのが、この世の中です。
だから、研究者は研究し、お医者さんは治療し、
支援者はサポートするしかない。
じっとしていても仕方ないので、松尾は自分が出来ることを行いたいと思います。