『新しい縄文時代像』

(%緑点%) 前期講座(歴史コース)(3月〜7月:全15回講義)の第9回の講義報告です。
・日時:5月24日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 「新しい縄文時代像」〜縄文文化の変革〜
・講師:笠井 敏光先生(文化プロデューサー)
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(%エンピツ%) 講義の内容
縄文時代は、今から何年前から何年前?
・旧石器時代 — 縄文時代 — 弥生時代
・今から約1万3000年前から約3000年前約1万年が縄文時代
・私たちが思っているよりも、”豊かな生活”だったのではないだろうか→代表例:「三内丸山遺跡」(青森県青森市)
わが国が「島国」になったのは、いつごろか?
・約1万年前であるといわれる
・海進(かいしん)…海がどんどん広がっていくことをいう ⇔ 海退(かいたい)
・約6000年前、温暖化 → 海進
日本で最も古く人がいたのは、いつごろか?
・4万年〜7万年前に人が日本にいた
*以前は50万年前に人が日本にいたとの説あり(2001年−旧石器捏造事件・日本の考古学界最大のスキャンダル)

縄文文化の変革
(1) 「弓矢の出現」
・動物の変化 → 温暖化により、大型動物(ナウマンゾウ、ヒグマなど)から中小動物へ変わる(ニホンザル、ノウサギ、シカなど)
・大型動物の狩…大型の槍(やり)、鏃(やじり)
・中小動物→素早いが遠くに行かない狩の方法…弓矢(飛び道具)の出現
(2) 「土器の発明」
・植物の変化
−(東日本)クヌギ類・ナラ類(冬場に葉が落ちる落葉樹林地帯)→ 加熱処理しなければ食べれない→土器の出現
−(西日本)カシ類・シイ類(照葉樹林地帯) → 水さらし・生のまま食べれる
*東日本に比べ、西日本には縄文遺跡が少ない…照葉樹林地域(冬でも青々と茂る林)は、夏にはますます密生した暗い藪となり、蚊やクモの巣窟と化して人の立ち入りを拒む⇒人口を定着させる力を持たなかった
(3) 「漁撈の開始」
・海が近くになったので、ヤス・モリ・アミ・ツリ→漁撈の開始

定住のもたらしたもの
(弓矢)⇒
(土器)⇒ [定住] → 「集団」・「芸術」・「家財」・「貯蔵」・「栽培」 
(漁撈)⇒
縄文カレンダー(右の資料を参照)
・いつ、何を採るか(季節による採集、狩猟、漁撈)
・男の仕事(狩、魚とり、骨角器つくりなど)、女の仕事(アサリ、若草・木の芽、木の実、土器つくりなど)、男女共同の仕事(塩つくり、サケ・マス)
縄文人は狩猟・漁撈・採集を1年の中に巧みに割りふり、安定した食生活を送っていた

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★『ビデオ観賞』★: 「三内丸山縄文の輝き」(青森市制作・約45分))
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*右の写真は、三内丸山遺跡の六本柱建物です。【直径2mの六本の柱穴跡とクリの柱根が見つかった。どのような建物が建っていたかには諸説(物見やぐら等)あり)】
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*『三内丸山遺跡』について*
・所在地:青森県青森市大字三内字丸山
・今から5500年前から4000年前までの縄文時代の集落跡(日本最大級の縄文集落跡
約1500年の長期間にわたって定住生活が営まれていた
・1992年からの発掘調査で、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子供の墓、貯蔵穴、捨て場、道路跡などが見つかる
・多くの出土品…縄文土器・石器・土偶・編布・骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石など出土
・クリの栽培

《まとめ》
縄文時代は、停滞しているように見えるが、想像以上に豊かな生活・文化があったと思われます。「停滞した時代」が1万年も続くはずがありません。縄文時代は、実は、 「熟成した時代」だったのです。