日時 平成23年6月7日(火)
場所 宝塚男女共同参画センター
講師 からあい企画の皆様方
赤染衛門と云う名前は初めて聞く名で恐らく歴史に精通している人でも大半が知らない人物と思います。彼女は平安時代の女流歌人で小倉百人一首の59番目に選ばれている人ですが父は右衛門尉赤染時用の娘であるが、一説には平兼盛の妻が時用と再婚後に生まれたことから、兼盛の娘かともいわれる。
藤原道長の正妻源倫子と、その娘の上東門院彰子(一条天皇の后)に仕え、紫式部・和泉式部・清少納言らと交流がありこれらの人達は「女房」と呼ばれ教養も高くもっぱら主人の身辺に直接関わる雑務を果たす身分の高い使用人であり、家庭教師とか秘書などの役割も果たしていた。
彼女は当時の権力者道長に認められたらこそ娘(彰子)の家庭教師になっていることからも相当の人物だったのでしょうのちに道長の生涯を描いた「栄花物語」の作者ともいわれている。ところで彼女は大江匡衡(学問の家の出である)と結婚しているが、教養があり良妻賢母の誉れ高いと『紫式部日記』にその人柄を伝えているが生没年不詳とのことでした。また、息子挙周の就職に彰子を通じて道長に依頼して和泉の国の国司に就かせて貰っているし、またこんなこともありました、息子の挙周が国司の任務が終わり都に帰途の途中、重病を患い、住吉の祟りではないかという話を聞いた赤染衛門は、病の快方を願って和歌を住吉神社に奉納した。祈りが聞き入れられて、挙周の重病は完治したという.。いずれにしても彼女のお蔭で大江家は曾孫の匡房(平安時代後期の公卿、儒者、歌人。官位は正二位・権中納言まで出世した。)後の鎌倉時代の大江広元(源頼朝の側近)などおおいに隆盛したようです。
このようにあまり知られていない人物に出くわした時の嬉しさはひとしおです。