東アジアと日本のあいだ

日 時 平成23年6月25日(土)
場 所 大手前大学
講 師 松岡正剛氏(編集工学研究所所長)
 古来 東アジアと日本のあいだには、「交流の道」がありま
した。
 それは、文化の道であり、宗教の道であり、漢字の道であり
ふろしきの道であり、掛軸の道であり、お茶の道であり・・・・と
その種類はゆうに100本はくだらなかったことでしょう。
 一番オーソドックスなルートは、中国大陸・朝鮮半島から対馬を経由して、北九州・瀬戸内海を通り、河内・大和に入って来るものでした。
 この南方ルートの他に北方ルートもあって、すなわち北海道・みちのく(道の奥・・・インフラの外という考え方)を経由して蝦夷に伝わり、それがやがて大和朝廷にもたらされることになります。
 これは、たとえば三韓時代の「高句麗」の言語と日本のそれがよく似ていることから、比較的本土に近い「百済」や「新羅」ではなく、一番遠い「高句麗」であったことでもうかがい知ることが出来ます。
 しかし近代(明治維新)に入ると、不平等条約の撤回を第一義と考え、早く欧米と肩を並べるべく、ドイツ・フランス・イギリス・アメリカ等からがむしゃらに文化を学び、ともすればアジアを少し横に置くことになったようです。
 ただこれからはTPP問題をはじめアジアとの外交は不可欠で、重要になってくるものと思われます。