(写真は「道の駅猪名川」のそば道場・兵庫県猪名川町万善)—>
2011年7月14日
「そば打ち体験」
(大阪のうどんに対し、東京はそば、どうして?)
こう暑い日が続くと急にそばが食べたくなり、「道の駅いながわ」(兵庫県猪名川町万善)でのそば打ち体験を思いついた。講師は厨房でそばを打つおばさん。挑戦するのは地元産そば粉100%の十割そば。
先ず、捏(こ)ね鉢にそば粉500グラムを入れ、お湯を加えて手早く混ぜる。小さい粉の粒をつぶしながら指先だけでひたすら混ぜる。さらに、水を三度に分けて加え、捏ねていくと小さな玉が幾つかできる。それらを合わせて大きな玉にする。捏ねの具合が足りないと、おばさんが素早く手伝ってくれる。一つの大きな玉になると手の平で捏ねていく。やがて円錐型にまとめれば捏ねは終わる。
円錐型の玉を押しつぶし円盤状にした後は、直径30センチくらいになるまで延ばす。のし棒を使ってさらに延ばしていく。最終の形が四角になるよう角度を45度ずつ回転させて、同じ薄さになるよう延ばしていく。初めてなのでなかなか均一に延ばせない。ここでもおばさんに手伝ってもらった。何とか同じ薄さの四角い形に収まった。
次に、そば包丁と駒板を使って麺を切っていく。太さを揃えるために麺を切った後、包丁をほんの少し傾ける。すると駒板が左へずれる。ずれた分だけ麺の太さになる。理想の切り方は、そばの断面がマッチ棒と同じ正方形に揃えることだそうだ。
そばを切り終えると、打ち粉をよく落としてそば舟に移す。これでそば打ち体験は終了するが、お願いすれば厨房で自作のそばを調理してくれる。自作のそばをざるそばにと頼んだ。打ちたて、茹でたてのそばの仕上がりと味に満足した。残ったそばは、麺好きの孫たちの土産として持ち帰った。なお、そば打ち体験は前日までにご予約を。
ところで、大阪のうどんに対し、東京はそば、とよく言われるが、それには水質が関係しているらしい。2010年10月29日付け朝日新聞の記事、「めん文化長〜く深く」(伝承料理研究家・奥村彪生さんに聞く)を引用させていただき、次に紹介したい。
江戸中期以降の文献には、江戸でうどんのメニュー出てこない。そば、それもざるか盛りが中心。当時、大阪にもそばはあったが、江戸方面からの味の評価はよくなかった。ざるや盛りは、ちょっとつけ汁につけてすするのが格好いい。
江戸では冷たいそばをしめる水がよかったから、それができた。徳川幕府は生活用水の確保に心を配り、神田上水や玉川上水が引かれた。いいそばを作る産地が近かったこともあり、そばがよく食べられた。
一方、大阪は安土桃山時代、運河による水運が発達した。水は流通の手段であり、水質は二の次だった。冷たいそばを、江戸と同じようにざるや盛りで食べると腹をこわしてしまう。そこで、めんを熱湯で温め、熱いだしをかける必要があった。熱くして食べると、そばはのびやすいので、うどんが盛んになった。(了)