郊外開発と阪神間モダニズム

日 時 平成23年8月10日(水)
場 所 鳴尾公民館
講 師 水野優子氏(武庫川女子大学助教)
 武庫平野に広がる阪神間は、古くは港町・門前町・宿場町・
酒造町などとして栄えてきましたが、しかしそれはごく一部の
地域であってそれ以外は広大な田園風景が広がっていました。
 これら田園地帯が良好な郊外住宅地として開発を始めるのは
明治の後期になってからで、これには阪急や阪神の鉄道会社が
大きく関与していました。
 大阪は商都として、神戸は港湾都市として発展し、工場が次々と建設されると人口が増加し、都市の住宅事情は住宅不足や不良密集住宅化していきました。
 20世紀に入り、阪神(1905年)や阪急(1910年)が都市を結ぶ都市間高速鉄道として開通しますと駅周辺が住宅開発され、実業家・資産家・中産階級(サラリーマン等)達が大阪・神戸を脱出し郊外に居を定めるようになります。
 また居住者の出勤時の逆方向が空電車となるため、学生や教職員の輸送需要を生むことを目的に学校誘致も行なわれました。(関西学院大学や神戸女学院等)
 このような状況の中で、阪神間に育った日本の伝統を重んじつつも西欧の生活様式を吸収した独自の近代的文化が、「阪神間モダニズム」と呼ばれるようになったとのことでした。