人物でたどる抹茶の文化史

日 時 平成23年8月11日(木)
場 所 宝塚フレミラ
講 師 寺本益英氏(関西学院大学教授)
 お茶が始めて日本にもたらされたのは遣唐使によるものだそう
ですが、その時は「唐代の煎じ茶法」で日本人にはあまりフィット
しなかったようです。しかし栄西が1191年に中国から茶の苗木を
持ち帰り、また飲み方も抹茶法を取り入れたことから、仏教と結び
つきながら広く普及していきます。
 1207年に明恵上人が栄西から茶種を贈られると、京都の栂尾で栽培を行い、宇治にまで普及させて量産化が図られました。
 応仁の乱後 足利義政や能阿弥によって今日の茶道の基礎が形成され、書院造の茶室(写真)が設けられたり、芸術性が付加されていきます。
 そして15世紀も後半になりますと村田珠光により侘び茶が創出され、茶道中興の祖・武野紹鴎に引き継がれ、やがて堺の町衆・今井宗久・津田宗及・千利休へと継承されました。
 利休は時の権力者(信長や秀吉)のアドバイザー的役割を果たして、茶室・道具・点前・懐石・精神性などにおいて創意工夫を重ね、日本を代表する文化にまで高めていきました。
 利休の茶道精神は、「七則(茶は服のよきように点て、炭は湯の沸くように置き、花は野にあるように、夏は涼しく冬暖かに、刻限は早目に、降らずとも傘の用意、相客には心せよ)」に凝縮されています。