野獣も飼いならせば家畜・・・・・読売新聞(1954)

60年近く前、広島・長崎に続く第3の被爆地ビキニ諸島で、第5福竜丸の
乗組員がアメリカの水爆実験によって、被ばくした。

 放射能汚染のこわさを改めて知らされた日本国民は、真剣に原子力反対
運動に取り組むようになり、広島や長崎で大会が開かれるようになった。

 核開発を進める大国は、核への批判が高まるのを恐れ、反核の機運をそ
らすため、一方で「核の平和利用」ということを提唱しはじめた。ビキニ被害
に対する抗議運動が高まるのを恐れたアメリカは、国連で核の平和利用に
対する会議を開催し、批判の声を鎮めようと計画した。中でも一番強い反対
運動を続ける日本を傘下に収めることが焦点とされた。

 アメリカは「心理的日本戦略」というものを構想し、日本人をなだめるため
には、マスコミ当時は新聞を利用するのが一番だと判断した。早速アメリカ
は当時の読売新聞社長正力氏と会談し合意にこぎつけた。

 そのときの読売新聞の大見出しが「野獣も飼いならせば家畜」であった。
飼いならされたのは、まさに日本のマスコミだったかも知れない。

 そして間もなく、ほぼ50年前、日本に最初の原子力発電所が誕生する。
大国の思惑ではじまった「核の平和利用」という美名に踊らされた日本は
今年3月11日、4番目の被爆地「フクシマ」をつくってしまった。

 第3の被爆地ビキニ諸島で被爆した大石又七さんは、大江健三郎さんと
の対談の中で、「いつも真実がかくされてきた」と訴えておられた。

 われわれは、さてどう生きるのか、この国をどうしたいのか、政治家にだけ
まかせていたら、さらに第5番目の被爆地を生むことになるかもしれない。