美を語る 「京都市 八木家の仕事」

平成23年9月30日(金)午後の部で実施
場所:兵庫県民会館
講師:京都造形芸術大学 美術工芸学科教授 八木 明様
 八木 明氏の祖父八木一艸氏は、大正期に住所を大阪から
京都に移し、新しい焼き物の姿を求めました。京都五条坂の
自宅で手回しロクロで作品を作り、1936年、京都美術館で
初めて個展を開いたそうです。(その頃は安宅産業と有名百貨店
がスポンサーになってくれたそうです)焼き物の情報集めの為、
市内の古物商が焼き物の破片を八木一艸氏に持参し、一艸氏はそれを見て勉強したそうです。
 父一夫の妻高木敏子さんは、16歳の時織物展で入選するほどの腕前だったそうです。1954年頃父一夫氏は、その頃世界的に流行っていた前衛芸術を取り入れ、「走泥社」という組織を立ち上げたそうです。世の中の動きとか、新聞記事を作品に取り上げました。世界では(ガムザ風)が流行っていたそうです。
 芸術家は日々の糧を稼ぐのが大変で、講師の八木 明氏は大学の講師を行って生活費を稼いでいます。また1963年、京都市内の登り窯が禁止となり、現在は電気釜を使用していますが、それも焼き物の品質に大いに影響しているそうです。本日の講師は主に(青白磁)を焼いているそうです。京都市内の芸術家は自分で決めてその道に進むそうですがスポンサー捜しに苦労するそうです。