華やかな古代の女性

日 時 平成23年11月1日(火)
場 所 池田泉州銀行講堂
講 師 水野正好氏(大阪府文化財センター理事長)
 今回は古代に活躍した女性の中から、神功皇后を取り上げた
お話しでした。 神功皇后は、第14代天皇・仲哀天皇(日本武
尊の子息)の妻でしたが、この頃(2世紀頃)はまだまだ天皇の
威光が全国に広がっておらず、東国の蝦夷や九州の熊襲等は
独自の組織を持っていました。
 ある時南九州において反乱が起こり、これを討伐するために仲哀天皇は自ら2万の兵を率いて出陣し、神功皇后も天皇の要請によりこれまた2万の兵と共に合流いたします。
 当時は戦の前に神託を仰ぐのが常でしたが、この時は南九州より先に朝鮮半島の新羅を討てとの神託が下ります。(当時は、日本・百済 VS 新羅・高句麗の構図があった。)
 しかし仲哀天皇はこれを疑って熊襲と戦ったため、神罰を蒙って病没してしまいます。
 残された神功皇后はこの時身重でしたが、出産を遅らせ兵を新羅に向け、これを降伏させます。
 その凱旋の帰路に筑紫で出産したのが、後の応神天皇(仁徳天皇の父)です。
 神功皇后は急襲により新羅を降伏させたものの、同国の持つ文化が優れていることに気づき、鉄の流入(兵農工具の量産)・稲作の技術(生産の向上)・絹織物や楽器の導入等々、様々な技術や技術者を日本に招き、国の発展に尽力いたしました。(写真は、仲哀天皇の古墳です。)