関が原の人々 「山内 一豊」

平成23年11月1日(火) 午後の部で実施。
場所:明石市男女共同参画センター
主催:(財) 兵庫県芸術文化協会
講師:茨木一成氏 (日本歴史学会会員)
山内一豊は奥方の内助の功で有名です。一豊がまだ織田家の
侍の時で、天正9年の馬揃のとき、馬を買うお金が無かった。
困っているのを見かねた奥方が手鏡のなかから、黄金10枚
をとりだし、「これでお買いなさい」と一豊に与え良い馬を買う
ことができたそうです。このことで織田家の名士となりました。しかし、一豊は秀吉の死後は徳川家康に接近。(これも奥方の指示で)関が原の戦いにおいてはいち早く東軍に付き、戦後掛川6万石〜一躍土佐24万石の加増となりました。これは関が原の戦いの軍功でありますが、いち早く家康側に旗色を示したことで東軍の結束を高めたそうです。
 また、石田三成の動静等が妻・千代から届きますが、一豊はその文を開封することなく家康に渡し、また戦いの直前、居城掛川城を兵糧ごと家康様に差し上げますと申し出ました。そして、一豊は全員を引き連れて戦場に向かいますと申し出ることにより、家康の信認を益々高めていったそうです。
 講師が何回も言われていましたが、人生はタイミングが重要です、山内夫妻の人生の要所での身の振り方は、全ての人の人生にも通じると思われます。