◇◆時にユーモアに時に真剣モードで◆◇
というわけで、終わってみるとあっという間の2時間でした。
先日、大学院で「ひきこもり」の研究をされている
学生さんのインタビューを受けました。
この学生さんのインタビューは、
今回で2回目で、毎回、おもしろく受けさせて頂いています。
なぜかというと、話すことって、あんがい自分のことを
整理することになるのだなという事実に気付いたからです。
話すことと書くこと。話すことでも、シチュエーション(場面)によって
ここまでなら話せることと、ここから先はもうちょっと経ってからとか、
書くことなら(松尾ならネットですよね)、なおさら慎重になるのだし、
何でもホイホイと書いているように見えるのかもしれませんが、
ブログに書くことに関しては、かなり言葉を選んで考察して書いています。
それで良いというより、そうあるべきだと捉えています。
それでは、院生さんとの会話の中でのいくつか。
●病気に関すること、まつわることは、
何でも開放的に(ブログで)書いているように見えるが、
実はそうではなく、この部分はかなり慎重に書いている。
まだ書いていないこともいくつもある。世の中は移り変わっていく、
確実に成熟していく、変化をするので、その時に合わせて、
「ここまでなら(ネットでも)発表しても良いかな」
と思えたら開示することになるのだと思う。
●松尾は恋愛についても書いている。
「ひきこもり」は恋愛もできず、家で悶々とばかりしていると
一般の方々に捉えられるのは、自分としては好みじゃないからである。
じっさいの「ひきこもり」たちは、かなりピュアな性格の持ち主だと考えている。
「タッチ」や「みゆき」のような、ラブコメ的世界に強く憧れている。
ただ、(現実の)自分ではどうすることも出来ないので、
バーチャルな恋愛観、欲求の対象に流れていくのではないか。
●自分(松尾)は、若者(不登校も含め)支援に携わっているが、
メインスタッフにはなれない。あくまで、支援の現場ではアシスタントである。
それで良いのである。自分にはメインスタッフとして
居場所なり、支援事業を切り盛りしていくための資質というものが
大きく欠けている。自分でもそれが十分にわかっている。
だから、これからも不登校・ひきこもり支援には関わっていくのであろうが、
メインになるつもりは全くない。あくまでアシスタントスタッフである。
●自分が「境界性パーソナリティ障害」の素地がありながら、
こんなに穏やかに(ある意味やさしく)生活しているのは、
まちがいなく両親や兄の影響—おかげである。
かれらは、「だまされてもいいから、だます人間にはならないで」
と背中で語り、それを僕に見せ、生活している。
損をすることも多い人生なわけだが、「だますよりはマシ」
だと、僕に人生を通じて語ってくれているのである。
境界性パーソナリティ障害とはもともと持っている(先天的な)部分と
そして後天的に備わる部分の両方で出てくる症状なのである。
上記のとおりです。院生さんには、ブログに書く許可を得ています。
なにかしら参考にしていただけると嬉しく思います。
≪写真は、インタビューを受けた、午後から夕方にかけての
ファミリーレストランです。近くの席では女子高校生たちが
楽しそうにキャッキャッとおしゃべりをしていました。
ところで、見た通りティラミスなのですが、
このようなものは、5年以上ぶりに食べました…。≫