自殺の予見性

いじめ自殺にかかわる裁判などで「自殺の予見性」について争われることが多い。

これに関して、明確にしたい。

「1985年以降、いじめ被害が自殺につながることを予見しない大人がいたら、それは、予見しなかったこと自体に問題がある!」

「津波の高さが想定外であった」ことを原発事故の原因であると言っている、専門家以上に責任を問われてしかるべき過失である!と私は断言する。

いじめを受けた子の親は、加害者を殺したいほどに思うことさえある。
それほどの、人間とは思えないようなことをされ続けるのが今のいじめである。

幸い、多くの加害者の親よりは自制心を持つ親が被害者側に多いから、事件にはなりにくいだけである。

それをいいことに、あまりにも社会の認識が甘いことに大きな怒りを感じる。

http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message.html

いかに「いじめ」が今の社会にとって大きな被害をもたらすか、
社会は知る必要がある。
知って、その撲滅に有効な対策を今すぐ取るべきである。

諸外国でもいじめはある。
しかし、それに対して、有効な施策がなされていない点において日本は全くの後進国であることを明言する。

「方法がない」のではない。
「やっていない」のである。

最後に子どもたちに言いたい。

安心、安全でない学校に行かなければならない義務は子どもにはありません。

子どもにとって「教育」は「受ける権利」であって「義務ではない」のです。

いじめのあるような環境には行かなくていいからね!
大切なのは、あなたのこころであり、命なのですから。