清盛の死と平家滅亡

日 時 平成23年12月2日(金)
場 所 鳴尾公民館
講 師 霜澤喜代子氏(西宮東高校)
 来年の大河ドラマ「平清盛」に因んだ講座も3回目(最終回)
となり、あれほど栄耀栄華を誇った平家にも凋落傾向がみられ
るようになります。
 清盛は、気配りが出来て棟梁としてのバランス感覚にも優れ
た武将でしたが、①後白河上皇の幽閉、②藤原氏への暴挙、
③南都(奈良)の焼き討ち、④福原への強引な遷都・・・等々、目に余る行為が行われていきます。
 加えて、以仁王の令旨により源氏が次々と旗揚げをし、平氏政権を脅かしはじめます。
 そのようは状況の中、清盛は熱病(一説にはマラリア?)に侵され、「頼朝の首を墓前に・・・」の一言を残して波乱の生涯に終止符を打ちます。
 その後の平家は、源義仲に倶利伽羅峠の戦いで大敗し、安徳天皇と共に都落ちいたします。
 いったんは兵力を持ち直して、生田の森・一の谷に陣を構えますが、源義経の山手側からの攻撃(鵯越の逆落とし)に敗走し、屋島及び壇ノ浦の戦いにも敗れて海の藻屑となり、源平の戦いは終結いたします。
 清盛は、音戸の瀬戸開削工事・厳島神社の造営並びに納経・港湾施設(大輪田の泊:神戸港)の修築等々、多大な功績を残しながらも、死の2〜3年前の様々な行為(前述の①〜④等)により、悪人のイメージが定着しているのはまことに残念なことです。