第17回 千里コラボ大学校を11月12日(土)に開催致しました。
「与謝野晶子の巴里だより 滞欧生活から新境地を開く」と
題して、平子恭子さんにご講演頂きました。
オープニングは皆様お待ちかねの音楽演奏。加福共之さんの
曲目紹介と川上時子さんによるピアノで、バッハとダガン作曲の
2曲をお楽しみ頂きました。
恋愛が罪悪とされた時代、晶子の第一歌集『みだれ髪』に
詠われた激しい恋愛のみが、晶子の全ての様に言われているが、
決してそうではなく、歌人として、夫鉄幹を助ける妻として、
また7人の子供達を気遣う母として、併せて自己の成長を図り
ながら、明治から昭和と激動の時代を、懸命に生きた晶子像を
語って頂きました。
鉄幹は、明治33年『明星』を創刊し、好調に滑り出したが、
自然主義文学の台頭によって、浪漫主義文学の砦である『明星』
も明治44年100号で終刊することになる。
晶子は鉄幹の渡欧費用を捻出するために百首屏風を作成し、
財界の人々に購入を依頼して資金を作り、明治44年鉄幹を
一人渡仏させるが、その寂しさに耐えかねて、晶子自身も
子供達の世話の目途を立てて、翌45年パリに向けて旅立った。
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パリでは、鉄幹と共にモンマルトルに下宿して、晶子は外出
時には鍔の広い帽子を被り、コルセットを着け洋装した。また
セーヌ川に近いロダン邸を訪問などして、親交を深めた。
晶子は、欧州の女性が活動的で、東洋の女性が静止的であると
見ている。静止的な美も良いが、現代の時勢に適さない美であり、
活動的な美のためには、教育の普及が必要と痛感したようである。
平子さんご自身も夫のドイツ留学に、生後8ケ月の子供を連れて
同行した経験があり、晶子の気持ちはよく理解できるとのお話で
あった。日本を離れてみてはじめて、日本を客観的に見る目が
養われる。それが新境地を開く扉になると、帰国後の晶子の日本を
愛する心の芽生えを解説されました。
帰国後は、東洋・西洋の思想をベースにした教育思想を形成し、
私立学校文化学院で、教育の実践活動を行うとともに、男女共学を
実践した。また男女平等の社会を実現するために、女性の参政権
獲得運動にも参加したが、日本の女性にはまだ早い、もう少し勉強
してから取得すべし、と考えたようである。平子さんは、晶子は
100年早く生まれてしまった、と解説された言葉が印象的でした。
平子さんは永年の研究成果をコンパクトなテキストに纏めて
頂き、時系列的にポイントを絞って頂いた講演は、晶子の名前は
知っているが、その生き様までは知らない私にとっては、聞き応え
のある講演であり、身近になった晶子を感じることができて大変
感銘を受けました。
最後に千里図書館の石田司書さんより、関連図書の紹介を頂いて
閉会しました。
(原田)
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