今回の事件を受けて

◇◆こんなときこそ冷静になれたら◆◇

まだほとんど正確な事実はわかっていない状況なので、
詳細にコメントすることは避けた方が良いと思います。
なので少しだけ発言させて頂きたいと思います。
というより、今回の事件、直接に関することではありません。
「マスメディア」だけではなく、私たち市民にも言えることだと思い
コメントをさせていただきます。

政治が不安定であっても、また震災(原発問題を含め)が
まだまだ予断を許さないものであっても、
「目新しい事件」が起きれば、人々はその事件にくぎ付けになります。
それは仕方のないこと。今に始まったわけではないのですが、
このようなコメントをすることをお許しください。

わたしは自分の事を「発達障がい」ではないかと開示しているので、
その立場から言わせていただきます。
それは、憶測、推測が飛んでいるということです。
そして「風評被害」が起きているようです。
「発達障害者」は何をするかわからない危険な存在であると。
「通信制高校生」にも風評被害は及ぶかもしれませんね。

わたし自身、通信制高校生でした。
その数年前には、大阪教育大付属小学校事件も起きていましたので、
素知らぬ顔は出来ないというか、
顔付き名前付きで様々な「生きづらさ」を公表しているので、
どうしてもナーバスにならざるを得ない事件となります。
もしかしたら、今日、このブログを見てくださった方の中には
「事件」に触発されたかたもいらっしゃるかもしれませんね。

それが悪いこととかそんなことではなく、色眼鏡で見られると、
わたしたちのパーソンはさらに生きづらくなるということなのですね。

今から一年半ほど前に、ひきこもりがちな青年が家族にきりかかり、
殺傷するといういたましい事件が起きました。
当時のことはよく覚えているのですが、
4月17日(土)に事件が起き、その日の夕方頃から頻繁に報道され始めました。
翌18日は日曜日だったので(ワイドショーが無いので)、
報道は激しくはなかったのですが、
やはり翌19日(月)は激しい報道がなされました。

「ひきこもり」が起こした「放火殺傷事件」としてです。
その19日の夕方に、宝塚の居場所活動があったのですが、
参加者の方もいらして、でも気まずい雰囲気があって、
なので、このようなことを言いました。

「今回の事件は”ひきこもり”が起こした殺傷事件として報道され始めている。
そして”ひきこもり”そのものも危険分子とされる向きもある様子。
でもそれはたまたま激しく報道されているだけ。
土日と大きな事件もなく、今回の事件はマスコミにとって格好の素材となってる。
世間の”ひきこもり”にたいするうがった見方もあるので、
しばらくは(別の大きな事件が起きなければ)続くかも知れない。
でも事件はいずれ必ず忘れられていく。熱さが過ぎれば冷めていくものだから。」

このような言葉を言うと、場が落ち着いたというか
明るい(ホッとした)雰囲気になった記憶があります。
わたし自身、家庭内暴力を振るい母親を泣かせていた時期がありました。
そのような個々のケースなのですね。
「発達障害」や「通信制高校」という見方ではなく、
それぞれの家庭、パーソンの事として見ていただきたいのですね。
捜査が進んでいけば、事実としてのこの事件がわかってくると思います。

ネットを含め、マスメディアの暴力は
それを発信したり、見たりすることで、
ストレスを発散させている部分もあるわけですが、
せっかくここ数年の発達障がいのブーム的傾向で
他様々な生きづらさがクローズアップされてきて、
良好な方向へと進んでいるのに、マスメディアの皆さんも
その責務を担ってくださっているのに、後ろに下がるのはあまりにもったいないです。

それはわたしたちネットを使っている市民にも言えることかもしれませんね。
こんなとき(このようなご時世)だからこそ、
多くの方がなるべく冷静な大人の行動を取れたらいいのだけれど、とは思います。

≪きれいなものはきれい。こわいものはこわい。
そう感じるのは感性。悪いことでも何でもない。
大事なことは、その感じた事をどう外に出すか(アウトプットするか)
ということなのかもしれませんね。≫