『武士の発生』

(%緑点%) 後期講座(歴史コース)(9月〜1月:15回講義)の第11回講義の報告です。
・日時:12月13日(火)am10時15分〜12時15分
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 「武士の発生」
・講師: 若井 敏明先生(関西大学非常勤講師)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(%エンピツ%) 講義の内容
1.武士とはなにか?
(1)武士と在地領主制
○土地を開発した領主が自衛のために武装する⇒武士の発生・・・「通説」 
・近年、武士についての種々の議論が提起され、「通説」が揺らいでいます。

2.開発領主と荘園
——————————————
*右は、997年頃、地元の領主が貴族(藤原道長の姉)に寄進したことを書いた古文書です。
——————————————
・荘園は、貴族や大寺院が持っていますが、地元の有力農民などが耕作地を寄進したものです。
・“土地を守るために”→貴族に寄進する=虎の威を借る
・荘園と国有地の比率・・・4対6 or 5対5 (国有地は、国衙領)
[国衙(こくが)=国府…中央政府の地方支配のための行政機関]

3.10世紀の改革
地方分権(権限委譲)…大きな政府から小さい政府へ
・奈良時代・平安時代初期は、中央集権(大きな政府)
・平安時代後期(10世紀の前半)になると、地方の支配は、大幅に、国府、国衙の長たる国司(受領)にゆだねられる傾向が強くなっていた。⇒地方分権(国司に権限委譲)
国司=受領(ずりょう)…徴税請負人(徴税を含めた中央への貢納は、国司による”請負い”)
○税の付加対象…人から土地へ

4.反国府闘争の激化
○国司(受領)の圧政
・10世頃、各地で国府を襲う事件が起きる
・国司(受領)は、任期4年の間に財をためる→圧政→百姓(ひやくせい=一般人)からの訴状
・受領にとっては、中央貴族に付け届けするための財源づくり

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5.平将門の乱(935年〜940年)
—————————————
*右は、「将門記(しょうもんき/まさかどき)」の一節です。
—————————————
乱の経過
①一族の内紛(婚姻上のトラブル)
②隣国武蔵の紛争に介入→受領の悪政に対する反対闘争(将門の声望が高まる)
③常陸、下野、上野の国府を襲撃し、 「新皇(しんのう)」と称した
④平貞盛、藤原秀郷による反乱終息
貴族を震撼させた、はじめての武士の反乱
・将門は、下総国豊田郡を根拠地にする平良将(よしまさ)の子。一時は太政大臣藤原忠平につかえている。
・関東武士の信奉を集め、数々の紛争仲介役を果たす。
・国府を攻めて陥落させ、みずから新皇と称した。かつてない大規模な反乱に、朝廷は驚愕した。
●論功により、平貞盛、藤原秀郷は、 「貴族の世界に引き上げるという国家の恩賞を授与される」
・律令制国家(古代の国家)では、“文人”が優位の世界。武人は副次的な位置しか与えられなかった。
・中世になり、乱の功績者(勝ち組)は大きく変身する=国家の恩賞(所職と位階)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6.桓武平氏(かんむへいし)
—————————————–
*右の系図は、桓武平氏系図と坂東八平氏の分布図です。
—————————————–
高望王(たかもちおう)
・高望王…889年、「」の姓をを与えられ、上総介(かずさのすけ)に任命。
・高望の子孫は、関東一円に広がり、関東ではもっとも繁栄する家柄となる。
桓武平氏=高望王の子孫
坂東(ばんどう)
・武蔵、相模、安房、上総、下総、常陸、上野、下野の八カ国を坂東という。
坂東八平氏
・桓武平氏をはじめとする賜姓皇族や貴族が、坂東下向し、“武”による治安の回復。⇒かれらは、国司や鎮守府将軍、公権を所有し、王威(皇孫としての血統性)に加えて、武力を保持していたことが、坂東の鎮静化に作用した。
————————————
・右上の「坂東八平氏の分布」を参照…平氏が多いが、源氏、藤原氏、その他の氏族も併存している。苗字は、根拠地の名前を使用している。
————————————
蝦夷対策
・東北(奥羽)を境とする坂東諸国は、蝦夷戦の最前線地域の役割を負っていた。
・蝦夷戦から学ぶ…騎兵蝦夷刀(日本刀の源流。直刀から彎刀(わんとうーそりをもつ日本刀)、革冑(機動性)など

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
7.清和源氏(せいわげんじ)
源経基(つねもと)
・50代清和天皇の皇子を祖とする賜姓皇族で、経基王が臣籍降下により「」姓を賜る。
・右の「諸流源氏系図」を参照下さい。
 [源経基−義仲ー○○]
−攝津源氏、大和源氏、河内源氏、宇多源氏、醍醐源氏、花山源氏、村上源氏(公家)
東国と源氏
「平忠常の乱」 (1028〜31年)
・房総を舞台にした乱・・・(原因)忠常が安房の国司を殺害→(追討使)平直方・中原成通。直方と成通の不和。成通の更迭(坂東平氏の内紛)⇒源頼信・頼義の出陣
「前九年の役」(1051〜62年)
・陸奥の豪族安部氏と源頼義・義家の合戦
・(原因)阿部氏が衣河柵を越えて勢力を拡大したことが発端だとされる→陸奥守藤原氏は戦ったが敗北⇒源頼義、義家の出陣、清原氏の援軍
「後三年の役」(1083〜87年)
・(原因)前九年合戦の“勝ち組”清原氏の内紛(家衡と清衡の争い)が、後三年の役の発端→清衡の訴え⇒源義家の出陣
・この後三年の役に勝った清原(藤原)清衡は、奥州藤原氏の栄華を開く礎が築かれることになる。
武家の棟梁
・前九年・後三年の両合戦は、棟梁をつくり上げた。⇒源義家
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(%エンピツ%)*まとめ* 『武士の発生』
(1)「在地領主制」(農民の有力者が武装し、領主化して武士となる)…通説
(2)「軍事貴族」 (武士は京都から生まれた)⇒[源氏・平氏・藤原氏などを起源とする武士。武力や軍事の専業化=職能化と請負い]、[承平天慶の乱(関東での“平将門の乱”、瀬戸内海での“藤原純友の乱”)以後、「功臣」というかたちで軍事貴族(都・武者)を生みだすことになる)
*********************************************
*********************************************
(%ノート%) 歴史コースの次回講義(案内)
・日時:12月20日(火)am10時〜12時
・演題: 「天誅組河内勢」
・講師:松本 弘先生 (神戸薬科大学非常勤講師)