『人生のエンディング』(その2) 「人生最後の決断」

(写真は大阪府内の有料老人ホーム・門真市常称寺町)—–>
2011年12月24日
『人生のエンディング』(その2)
「人生最後の決断」

 60代も半ばを迎えると、高齢期の住まいや最期をどう迎えるかと考えるようになる。今は元気だが、いずれは自立した生活が難しくなり、人の支えを必要とする時が必ずやってくる。その時を安心して過ごすには今からどう備えたらよいか、考えている。

 多くの高齢者は、住み慣れた自宅で暮らし続けたいと願っている。我が家は2階建ての一軒家なので、夫婦がどちらか一人になった時は広すぎて不便だ。娘たち二人のうちいずれかが同居してくれるのが望みだが、介護する側の娘たちにもそれぞれ家族の事情がある。

 そこで、介護付き住宅として有料老人ホームはどうかと、新聞紙上で広告記事を見ているが、入居一時金と月額利用料は、一般庶民には手も出せそうもない。駅前や繁華街の近くでなくてもよい。交通の便がよければ、自立した高齢者にはそれで十分だ。せめて、入居一時金が蓄えの半分ほどで、家賃と生活費を年金でまかなえるケア付き住宅が増えることを願っている。

 となれば、公的な介護施設を利用したいものだが、特別養護老人ホームは多くの方が待機状態。要介護度がかなり高くならなければ入所は非常に難しい状況だ。そこで期待するのが民間の介護施設となるが、介護保険サービスの利用が急増して地方自治体の財政を圧迫しており、介護保険が適用されるケア付き施設の新設が、総量規制と呼ばれる方法で制限されている。

 有料老人ホームは一時金が高過ぎる。しかし、特別養護老人ホームは希望する時に入所できるとは限らない。そうなると、安心して介護を受けられる高齢期の住まいをどうするか、これからの暮らしを思うと大きな問題になってくる。だが当分は、住み慣れた自宅で過ごすしかない。しかし、自宅であれ施設であれ、どちらで介護を受けるのか、いずれは決心しなければならない。

 家族、訪問医や看護師、ヘルパーらに支えられながら、自宅で最期を迎えるのか。それとも、介護付き住宅に住み替えるのか。住み替えるとしたら、その時期はいつにするのか。そして、その時までに身の回りを整理して、最小限のシンプルな生活にしておくこと。いずれにしても、「その時は必ずやってくる」。腹をくくって備えることだ。

 また、高齢期の住まいを選ぶには、家族とよく話し合うことも必要だ。家族の世話になるのか、家族に迷惑をかけたくないのか。自宅か施設か。介護を受けることを前提に、本人の求める介護の場所をどこにするのか、適切な判断力がある今のうちに見極めておくことだろう。自分の人生は自分で決めるという覚悟が必要だ。

 さらに、住み替えるとなると、終(つい)の住処(すみか)として暮らしたい施設とエリアを決めなければならない。それには先ず、福祉施設や高齢者住宅など、多種多様の施設や住まいの中から、それぞれの入居条件や介護サービスの違いを知り、本人の求める最適の施設を決めたい。そして、家族の往来や仲間とのつながりを考慮して、都会、郊外、田舎などの中から、最適のエリアを選びたい。

 元気なうちは自宅で暮らし続けたい。しかし、誰かの介護を受けなければならない時は必ずやってくる。それに備えて、元気に暮らしている今のうちに、在宅介護と施設での介護、どちらを選ぶのか決めておきたい。そこで、将来介護を受ける立場になる時のご参考になればと、朝日新聞に掲載された介護に関する二つの記事を次に紹介させていただきたい。

(写真は大阪府内の有料老人ホーム・枚方市印田町)——>
『<備える> ケアのあるすまい』①
「自宅と施設 一長一短」
(2009年2月12日付け朝日新聞より引用)

 介護が必要となって、有料老人ホームやケアハウスなどで老後を過ごす人は少なくない。でも、元気なうちは住み慣れた自宅で過ごしたいもの。住み替えると、どう生活が変わるのだろうか。住み替えどきは、いつがいいのだろうか。

 もしも介護が必要になったら、あなたはどこで介護を受けたいだろう。内閣府の調査(03年)によると、「可能な限り自宅で介護を受けたい」人が最も多くて45%。特に男性に多く、理由は、「住み慣れた自宅で生活を続けたいから」が大半を占める。

 一方、女性では特別養護老人ホームや老人保健施設などでの介護を望む人も38%おり、自宅の39%とほぼ同じ。施設を望む理由は、「家族に迷惑をかけたくないから」が多い。しかし、現実はどうなのか。

 有料老人ホームの紹介事業を営む「介護情報館」(東京)の館長、中村寿美子さんによると、介護のために住み替えを考える時期はだいたい80歳ぐらいで、ひとり暮らしや子どもがいない夫婦だと、もう少し早い。

 突然倒れてしまい、施設に関する知識もなく、どうしていいか分からずに慌てて相談に来る人も少なくないという。中村さんは、「2000年に介護保険が始まり、保険サービスを利用してギリギリまで自宅で過ごす人が増えた。住み替える年齢もずっと遅くなっています」、と言う。

◆何を重視? 選ぶための勉強を
 介護保険では、介護の必要度に応じて決まった額まで、排泄や入浴などの訪問介護、訪問看護、福祉用具のレンタルなどのサービスが利用できる。本人負担は1割。自宅で介護を受ける人たちの平均的な費用は月3万5千円ぐらいだ。

 足腰が弱っても自宅で暮らすには、段差の解消などバリアフリー化も欠かせないが、住宅改修も20万円を上限に介護保険サービスを利用できる。ただ、介護保険だけでは万全ではない。NPO法人・シニアライフ情報センター(東京)の池田敏史子事務局長は、「介護保険は計画に基づきサービスを給付するもので、緊急時の対応は不十分。家族など、緊急事態に助けてくれる人の存在が欠かせません」。

 不安なら、早めに有料老人ホームなどケア付きの施設に住み替えた方が、安心はできる。ただ、自宅にしろ施設にしろ、利点もあれば欠点もある。自宅なら慣れた住まいで自由な生活を送れる一方で、掃除や食事に労力がかかるし、社会的孤立にもつながりかねない。施設だと、設備は整っているし、食事も栄養を考えたもの。ほかの入居者との人間関係も広がる。でも、居室は一般的に狭いし、ほかの入居者とうまくいかない恐れもある。

 「何を重視して、在宅と施設どちらを選択するか。いずれにしても覚悟が必要です」、と池田さん。中村さんは、「元気でも65歳になったら介護保険の勉強をする。70歳になったら自分はどこで死を迎えたいか考えて、どんな施設があるか勉強した方がいいです」、と助言する。(山田史比古)

(写真は兵庫県内の有料老人ホーム・神戸市垂水区名谷町)—>
『<be between>読者とつくる』
「人生の最期は自宅で迎えたい?」
(2011年12月3日付け朝日新聞より引用)

 不確実な人生の中で、唯一確かなのは、命には限りがあり、誰もがこの世と別れなくてはならないことです。病気などで衰えた時、自宅で最期を迎えたいと思いますか。
◆家族の負担
 beモニターの皆さんの回答は50対50。見事に拮抗した。自宅で最期を迎えたいと答えた人には、身内をみとった経験のある人が目立った。

 埼玉県の会社員女性は(41)は3年前、胃がんだった夫(49)を、訪問医や看護師、ケアマネジャー、ヘルパーらに支えられながら自宅でみとった。病院では孤独だったけれど、自宅は患者の本拠地で患者と家族が中心。「やっぱり自宅のベッドが一番。夫も安心したのか熱も出さず、私も夫に触れたい時に触れることができ、普通の生活の幸せをしみじみと感じました」。

 別れは切ないけれど、「やりきった感」があった。支える体制が広がれば、在宅死はもっと増えると思う」、と話す。奈良県の主婦(75)は昨年、自宅で夫を見送った。「集まった子どもたちに、『また、あした』と言って、数時間後に逝きました。たまたま長女と3人で、川の字になって眠った日でした」。

 だが、日本の現実はどうか。病院で亡くなる人が、在宅死を上回ったのは1977年。その差はどんどん開き、2009年は、81%が病院で亡くなり、在宅死はわずか12%だ。アンケート結果と現実の数字が大きく違うのはなぜか。

 自宅で最期を迎えたくないと答えた人の回答を見ると、「家族に負担をかけたくない」が最大の理由だった。「認知症の祖母の相手をするのに、母が大変な思いをしている。もっと看護や介護の手がほしい」(滋賀、31歳女性)、「認知症や寝たきりの家族を自宅でみとるのは大変な負担。いつ来るか分からない死の時を自宅で迎えるには、家族の理解が一番大切だ」(広島、37歳女性)。

 自宅を選ばない人が望んだ「死に場所」の1位は病院だが、「場所にはこだわらない」人も多かった。「最愛の人がそばにいたら、どこで死んでもいい」(兵庫、51歳女性)。「最期」の場所はともかく、「延命治療は受けたくない」、という声もめだった。「認知症の父は病院で鼻のチューブを抜かないように手足をベッドに縛られ、家族が呼ばれたのは亡くなった後。今も悔いが残る」(東京、47歳女性)。

 孤独死への不安を訴える人もいた。「男の独り暮らしで親戚づきあいもなく、地域で孤立している。今は会社があるけど、最期を思うと胸が締めつけられます。ゴミのように自治体に処理されるのか」(福岡、39歳男性)

 東日本大震災では多くの方が突然亡くなった。大災害を機に人生を見つめ直した人や、「アンケートで考え始めた」(千葉、36歳女性)という人も少なくない。人生の最期を思うことは、どう生きるかを考えることにもつながりそうだ。(生井久美子)