「上田秋成の俳諧と交遊」

(%紫点%) 後期講座(文学・文芸コース)(9月〜1月:全15回講義)の第14回講義の報告です。

・日時:H24年1月19日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール
・演題: 「秋成の俳諧と交遊」
・講師: 根来 尚子先生(柿衞文庫 学芸員)

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(%エンピツ%) 講義の内容
1.上田秋成(うえだ あきなり) 略年譜
○江戸時代後期の読本作者、俳人、歌人、茶人、国学者、怪異小説「雨月物語」の作者
[1734年(享保十九)〜1809年(文化六)]
・1734年:大阪曽根崎生まれ。
・1737年(元文二):4歳−養子になる。(大阪堂島の紙油商人、上田満宜(屋号嶋屋)
・十代の終りから放蕩の生活を送るが、俳諧を学ぶ
・1760年(宝暦十):27歳−植山たまと結婚
・1768年(明和五):35歳−『雨月物語』脱稿
・1771年(明和八):火災で家財を失い医業を志す
・1776年(安永五):43歳−この頃、与謝蕪村・高井几董らとの交流さかん
・1786年(天明六):53歳本居宣長と激論交わす
・1790年(寛政二):57歳左目を失明する。妻のたまが剃髪し、瑚璉尼と称した。
・1798年(寛政十):65歳右目も失明。谷川家の治療で左目がある程度回復し、没するまで著作活動を続ける
・1805年〜1809年:72歳〜76歳−『藤簍冊子』、『毎月集』、『茶瘕酔言』、『胆大小心録』、『春雨物語』、『背振翁伝』、『俳調義論』、『文反古』など晩年に多くの著書。1807年(74歳)の折、書き留めていた草稿を古井戸に捨てる挙にでる。
・1809年(文化六):76歳で没。贈り名は「三余無腸居士」
*ほぼ同時期に、江戸で活躍した読本作者に曲亭馬琴や山東京伝がいる。

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2.秋成の俳諧
①【20代〜40代 漁焉時代】
○「翁わかき時は、俳かいといかいふ事を習て、凡四十ちかくまで、是よりほかの遊びはなかりし」(胆大小心録)→秋成の自伝・・・40歳ちかくまで俳諧に熱中した。
漁焉(ぎょれん)は、秋成の俳号で、以下の俳書に収録されています。
「けふの春 花咲山を 算(かぞ)へけり」 (秋成20歳))『宝暦三年 紹簾歳旦』→紹簾(しょうれん)−大阪俳壇で宗匠として活躍)の「歳旦帖」に収録。
(句意)(新春を寿ぐ句。新しい春を迎えた。いっぱい咲いている花山をみて占った)
「雲淋し 冬はあらはに 北の山」 (秋成22歳)『俳諧十六日』→秋成(漁焉)、発句をつとめる。
○秋成は、大阪俳壇において「ひとり武者」(ひとりで頑張っている)として評されている。当時の俳諧は、数人が寄り合って三十六句以上を付けていく共同作業の「座」に文芸であった。
*「ひとり武者は鬼上又きんど、ぞゑん(ぎょれん=秋成のこと)、きようごなど皆はいかいのしれ者なるが」(『列仙伝』)
②【40代〜50代 無腸時代】
無腸は、秋成の俳号で、1773年(安永二)から用いたとされる。
・【無腸」とは、(かに)のことで、手の指の不具にひっかけた。蕪村も書簡で「蟹先生」と親しげに呼んでいる。
「桜さくら 散て佳人の 夢に入」(秋成43歳)『続あけがらす』
『也哉抄』(やかなしょう)(秋成著 1774年(安永三))
・秋成の切れ字論書。この書の序文に与謝蕪村がよせている。
「…ここに我友無腸居士なるものあり。…俗流に交わらず。…おのれがこころの適ところに随ひて、よき事をよしとす。まことに奇異のくせもの也」と、秋成の人柄を綴っている。
③ 【60代〜70代】
「春の雲 行々(こうこう)鶴に おくれたり」 (秋成74歳)
(句意)(春の雲の流れをぬって春に北へ帰る鶴、その鶴のはやさに雲が遅れている、と雲に視点を移して詠んだ句)

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3.秋成の交遊
・秋成は60歳で京都に移り、交遊がひろがる。
「村瀬栲亭」 (儒者で煎茶仲間)
「本居宣長」 (国学者)
「円山応挙」、「松村月渓」 (画家)
「小澤芦庵」 (歌人)など
『胆大小心録』(たんだいしょうしんろく)(秋成、晩年の随筆で、自らの本音をはばかることなく書いています。)
★本居宣長への痛罵
「ひが事をいふて也とも弟子ほしや古事記伝兵衛と人は言ふとも」
[嘘まで言って弟子が欲しいのか。(宣長の代表作「古事記伝」と乞食をひっかけて)乞食同様の人物だと悪口を言われても]・・・と悪意丸出しで罵っている。
★儒者への悪口
「国学者が唐(中国)の事を考えると、儒者が日本の事をいふと、力がありたけて、儒者の方がすかたんが多い。」…どんな力んでいても、儒学者の方がすかたんが多い。
★歌人への悪口
「都なれば、歌よむと云人多し。皆口真似のえまねむ也」 …歌よむ人が多いというが、口真似でうまく真似ていない。

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4.秋成と谷川家
・秋成は57歳で左眼を、65歳の時に右目を失明します。
・物書きを生業とする者にとって、両眼の光を失うということは、まさに作家としての命を絶たれることに等しかったに違いがありません。
・その左眼を治療し、秋成の晩年の創作を可能にしたのが、播磨の眼科医、谷川良順(りょうじゅん)・良益(りょうえき)・良正(りょうしょう)の三兄弟でした。
・秋成が三兄弟のことを 「神医」 と呼んだ、その言葉には秋成の並々ならぬ感謝と敬意が示されています。
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*右上のパンフレットの紹介
・企画展「−谷川家資料に見るー神医と秋成」
・期間:3月3日(土)〜25日(日)(月曜日休館)
・会場:(財)柿衞文庫(かきもりぶんこ)
・住所:伊丹市宮ノ前2-5-20
・電話:072-782-0244
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(%ノート%)文学・文芸コースの次回講義(案内)
・日時:1月26日(木)午後1時半〜3時半
・演題: 「いきいき朗読」〜 「60歳のラブレター」(NHK出版)など〜
・講師:野村 康子先生(朗読講師)