自分らしく生きることの過酷さ

“自分らしく生きる”ということほど、難しいものはないのかもしれない。
短いセンテンスには、いっぱい関門があるように思う。

 まず、第一関門。
 “自分”ってなに?

 第二関門
 “生きる”ってなに?

 第三関門
 “自分らしさ”ってどういうこと?

 第四関門
 “自分らしく生きる”ことで家族や他人、時には自分自身の何かが犠牲になるとしたら?

自分が思いつきのままに生きることが、“自分らしく生きる”ということではないにしても、
自分が自分らしく生きる道を選んだことで、誰かを何かを犠牲にすることになるのなら、
その選択は自分にとって本当に“自分らしい”生き方なのだろうか・・・

“自分らしさ”を追及するのは、実はとても過酷なことなのかもしれない。
最近、そんな風に感じたりもしている・・・