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キララには、枠でくくれない相談が多いのが特徴です。

性に関する相談所は、女性の相談、男性の相談と対象が限定されていることが多いですが、
キララでは「男—女」でクライアントを選別はしません。
また、「子ども—大人」のくくりもありません。
くくっているのは、「人間」ということだけ。

そもそも、性別は2つしかないというのは大きな誤りなのです。
性別違和を抱える人やISの人の存在にもっと私達は敏感にならなければならないのです。

法律的な問題では、ゴンゾーさんが書かれているように、女性だけが性的被害に遭うわけではありません。
女性以外、男の子や大人の男性、性別違和がある人、ISの人も被害に遭います。
その相手の性別も、いろいろです。

被害者支援をしている人達は、被害者しか対象にしないし、
被害者支援に携わる人間が加害者のケアもすることは、もってのほかという「常識」があります。
「被害者支援—加害者更正」のどちらか一方の立場を明確にしないといけないのです。
それについても、キララでは、「常識外れ」な対応をしています。
被害者であれ、加害者であれ、支援を求める人には私達は手を差し伸べます。
目の前の人にとことん寄り添う。それがキララです。

加害行為をしてしまった人の心のケアをしていますと、
必ずと言っていいほど、「傷つき体験」「被害体験」を話されます。
「被害者—加害者」の二項対立ではくくれないものが、ここにも存在します。
「被害者」「加害者」というのは、そのケースに限り立場分けができるもので、
(それでも、どっちが被害者かがはっきりしないケースもありますが)
人をその人の生きてきた時間軸で考えた時、「被害者」「加害者」とはっきり分類
できるものではないと感じています。
かく言う私も、自分が運転している車で事故を起こさないとは言い切れません。

私達は、「ケース」だけを見ているわけではない。
その「人」の「生き方」に寄り添っているのです。
とことん寄り添うこと、つまり—あらゆる「枠」を取り払うこと—なのです。

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