いつの頃からか、取材にはテープレコーダーを持ち込み、
文章を書くとき、そのテープを文字に起こすようになった。
それも、話の内容をたどるような大雑把なテープ起こしではなく、
逐一、その語尾までも文字に置き換える本格的なものだ。
「エェー」とか「アァー」とか、
文章にするときには削るに決まっているその人のクセも書き取る。
だから、2時間のインタービューをすれば、
その倍位の時間はすぐに経ってしまう。
それでも、スタッフたちはその労力を惜しまない。

昨日、来年の連載記事作成のために、朝日新聞の記者が取材に来た。
その記者は熱心にノートを取ってはいたが、録音はしていなかった。
彼が帰った後、その話になった。
「新聞とは違うからね」
「最後の最後まで聞かないとね」と誰彼となく言い出した。
「ニュアンスがつかめない。人に起こしてもらっても、書きにくい」。

最近ボランティアで来てくれる人が増え、
その人たちにテープ起こしを頼む。
しかし、その人たちが起こした文章だけでは、
にっちの誌面に適った文章は書けないというのだ。

すごい成長だと思う。誰が指導したのでもない。
高齢者へのインタビューを繰り返し、
その人についての文章を書こうとする過程で、
それぞれが身につけていった方法だ。

大げさに言えば、わずか1、2時間のインタービューで、
その人の今ある姿に、歩んできた人生を見ようとする。
その人の発する一語一語をとらえようとするのは、
当然といえば当然なのだ。

不思議なことに、テープ起こしを頼んだボランティアの人たちも、
いつの間にか、繰り返しの多い機械的なその作業が面白くなるようだ。
テープ起こしには、人を引き込む何かがあるのかもしれない。