「がんばろう」を合言葉に、相互に支えあい、復興に向けて力を合わせてきた
阪神間のNPOの前身のボランティアの方々には大変申し訳ありませんが、
やはり、事実は事実として語っていくことが必要だと思い、敢えて掲載することにしました。
「美談」により、ひたすら隠されてきた、震災時の「性被害」。
阪神淡路大震災から11年を迎えた昨日。
「忘れてはならない」という文字が新聞に大きく掲載されていました。
「忘れてはならない」の報道の背後に、世間が知らないところに、
今も、忘れたくても忘れられない人たちがたくさんいることを、私達は知らなくてはならないと思います。
避難所で、倒壊した家屋の中で、道路で。
仮説風呂の覗き穴。
「バス(入浴)ツアー」と騙して集めて集団で。
被災した人が、ボランティアの人が、子どもが、大人が・・・
悲しいけれど、信じたくないかもしれないけれど、現実に起きたことです。
でも、これは阪神淡路大震災だけの話ではないようです。
災害、戦争時、国や文化や時代を問わず、起こることのようです。
人間には誰しも、暴力的、支配的な一面があります。
非日常時、社会秩序が崩壊した時、社会不安がある時などは、
脳の中で感情が制御不能となり、それらの一面が表面に浮かび上がってきやすくなります。
しかし、それもかなり個人差があるのは言うまでもありませんが・・・
ココは「NPOブログコミュニティ」なので、書きました。
今一度、私達にとって、阪神淡路大震災とは何だったのか、11年を迎えた今、
問いかけたいと思います。
*ここに書いているのは、カウンセリングで受けたケースではありません。
被災地のある場所で公になっていることを記憶を頼りに書きました。