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先日、ある小学校の「PTA通信」を拝見しました。
そこには「家庭でできる暴力防止活動」が書いてありました。
しかし、そこには幾つかの???が・・・
まず家庭が無条件で安全で安心だとされていること。
そもそも「児童虐待」とは保護者による18歳未満の子供への虐待なので
主な現場は家庭や近親者の自宅になります。
それに性的虐待も虐待と言う言葉がついていることからも
明らかなように近親者の犯罪です。
第三者が加害者の場合は「性暴力」と言います。
日本ではまだ本格的な調査が行われていないのですが、
欧米では児童への暴力の80%は虐待だとされています。
従って、家庭こそ危ないと言えるのですが、
この現実を受け入れるのは確かに苦しいことではあり、
ましてやPTA通信で書くには勇気がいるでしょうけど・・・
それにタイトルも「家庭でできる暴力防止活動」としており、
最も警戒すべき危険な家庭を巧みに回避しているのかな?
しかし、それでもなお真実を伝えねば・・・
古くはフロイトがヒステリー症状のほとんどが子どもの頃の性的虐待であることを
突き止めたのですが、当時の教会や学会などの権力に屈して自説を曲げ、
リビドーの所為だとしてしまったのですから。
それに児童虐待防止法の精神を理解していない!
虐待が疑われる場合は躊躇なく通報すること。
調査の結果、虐待でなくても責任を問われることはありません。
それから、誤った個人情報保護!
虐待が明らかな場合は、加害者の個人情報保護よりも
当たり前ですが、被害者である子どもの安全・人権・命が優先されます。
子どもに強制介入することを説明することは必要ですが、
子どもが同意する必要はありません。
もちろん同意が取れるなら、同意を取った方が良いですが。
でも、援助チームの組成やシェルターなど強制分離に必要な施設などが
整備されていないで強制介入すると逆効果になりますが・・・
「地域の不審な人に立ち向かい、不審な出来事を問題にしてください。」
と書いてありました。
不審と言うだけで立ち向かう方が、虐待の加害者に対する個人情報保護よりも
酷いのでは?
それに不審者=見慣れぬ人だから、一緒に不審者に立ち向かっている人は
知り合いの人であり、子どもに「おじさんと居れば安心だよ。」と言いながら、
性的虐待をしている可能性の方が不審者と思われる人が性暴力を起こすよりも
欧米の統計では高いのです。
日本で虐待に対する正確な知識を持ってもらった上で、本格的な調査をしない限り
欧米の統計だから日本は違うと言えないことは明らかです。
しかしながら、性的虐待の場合、子どもは虐待されていると認識できない可能性が高く
従って、顕在化せずに被害者が性に対する知識を知った後にトラウマやPTSDになり、
自尊感情が傷つけられ、加害者になるかも知れません。
「子どもには、他の子どもを助けるよう励ましてください」
とも書いてありました。
文脈が不明なんですが、犯行の現場なら危険すぎますし、
被害児に対してなら、正確なケアの知識がある先生の適切な指導が無ければ、
二次的被害を引き起こす可能性もあり、これもまた危険です。
うーん、やはり先ずは「児童虐待」に対する正確な理解から始めないと
いけないのでしょうけど、児童虐待の構造は非常に複雑でわかりにくいので、
「不審者」と言う極めて曖昧で主観的な表現で原因を外在化するような
間違っているけれどわかりやすいアプローチになってしまうのでしょうか?
先ずは不審者と言う訳のわからない存在よりも自分自身が子どもに虐待をしていないか
批判的に検証することから始めないといけないのかも知れません。
おそらく「しつけ」や「愛のムチ」、「罰」などと称した身体的虐待、
「あんたなんて生まれてこなければ良かった。」など子どもの存在を否定する心理的虐待、
など児童虐待にあたる行為、すなわち子どもの自尊心を大きく傷つける行為を
子どものためと勘違いしてしているかもしれません。
私も「児童虐待」の知識が増えるにつれ、子どもに対する接し方が変わりましたし。
厄介なのは愛情表現と称した性的虐待、
子どもに無関心な養育拒否・・・
前者は罪を自覚していますし、後者はそもそも子どもに関心がないのですから・・・
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