よく、「すなしまは何人でやっているんですか?」とか「どういう会社がやってるんですか?」「お金は誰が出しているんですか?」といったことを聞かれる。
ほとんどが私一人で、自分のお金でやっている。
なぜそんなことをやるのかとうことは、ここや、こんなサイトで確かめていただきたいが、「すなしま」創刊までのいきさつについても、ぼちぼち語ってみたい。
そもそも、なぜ「すなしま」創刊を思いついたかについては、ここをご覧ください。
その続編です。
日本中がワールドカップで盛り上がった、2002年の夏。その余韻を断ち切るかのように、私の行動は始まった。
とはいっても、街の雑誌を作るためになにから手を付けたらいいのか……。
私は生まれも育ちもこのエリアではない。親戚も友達もいない。たまたま、住み着いただけのことなので、この街のことをまるで何も知らない。ただ、大島の中の橋商店街や砂町銀座など、昔ながらの商店街には活気があり、買い物をしていても楽しい。街の人も親切だ。東京の下町というよりも田舎のようなところが多く(実際には東京の端っこなので田舎だ)こともあり、ここが自分の生活する場所としては非常に気に入っていた。自分はこの街が好きだ、ということだけははっきりしていたのだ。
そこでまずは、この街のことを知らなくてはならないと思い、図書館や文化センター等に通って、地域に関する本を読んだり、地域の方々による展示、発表等を見て回った。その中で「これだ」と思ったのが、2002年7月に東大島文化センターで開かれていた絵の個展。丸八橋や中の橋商店街など、私の身近な場所を書いた風景画。
普段よく見ている景色でも、淡い水彩使いの絵ではこんな風に見えるのかと感心し、自分の住んでいる場所が一挙に魅力的に思えてきた。たぶんこの人は、この街のことを愛しているんだな〜と思ったら、まずは話を聞いてみたくなり、センターの人を通して会う機会を設定してもらった。
快く、私の希望を聞いてくれたその方は、タウン誌を作りたいという私の気持ちも理解してくれて、この街のこと、昔はどんなところだったのか、どこにどんな人がいて、どんなものがあったのか。それが今、どのように変わっているのかをいろいろ話してくれた。そして、「絵を描くことで、江東区に恩返しをしたい」といっていた。
その時点で、タウン誌を作るなら、この人に協力してもらうしかない、という意思が固まった。その人がれが、今表紙の絵を描いていただいている、菅野たみお先生である。
こうして、まず一人目の理解者を得た私は、文献で街のことを調べるのではなく、こうして人と会って直接その地域の事を聞くことが大切だと思い、次に銭湯に飛び込んでみた。
銭湯といえば、かつては街の社交場。今は少なくなっているが、まだまだこの街では銭湯がたくさん残っている。もともと、銭湯好きなので、どうせならここで聞いた話を、最初の特集にしてしまえ!という勢いで、まずは、私の家に近い、北砂の文化湯という銭湯に浸かり、出るときに番台のおじさんに声をかけてみた。
「このあたりのことを調べて、本を作りたいと思っています。銭湯のこと、街の昔のことなど、お話を聞かせてもらえませんか?」。
すると、「いいですよ。明日の昼だったら時間がありますから、よかったら来てください」と言ってくれたのだ。
今考えれば、このおじさんが快くこうして引き受けてくれたので、「すなしま」は成立したのだ。
その後、同じような飛び込みでの取材依頼を何度もやっているが、「いや〜そういうのはちょっと、いいです」「協力できません」と断られることがよくある。今でこそ、「それならそれで、次を当たろうか」と言う気持ちになれるが、創刊当時はそれだけで気持ちが落ち込んだものだった。
もちろん、断る気持ちも理解できる。どこの馬の骨かわからないものが、いきなり飛び込んで来て、何を作るのかもよくわからないまま、「話を聞かせてくれ」と言えば、誰だって胡散臭いと思う。
だからこそ、一番初めにそういう、「ダメだ!」というきつ〜い言葉を浴びていたら、その時点で気持ちが沈んでいたに違いない。
菅野先生との出会いもそうだ。あのときに、どこの誰ともわからない私と、快く会ってくれたから、今があるのだ。「そんな人と会いたくもないよ」と言われていたら、「すなしま」はなかっただろう。
そうして、偶然にも最初にいい出会いがあり、手探り状態での取材が始まった。
まだ、具体的に何をどうするでもないが、とにかく出来ることから手をつけてしまった。銭湯のおじさんにお願いした翌日に、住居のほうを尋ねていくと、私を家に上げてくれて、いろいろと話を聞かせてくれたのだが……その話を聞いて、ある程度の方向性と、私の覚悟が決まったのだった。
〜以下、続く〜
写真は、本文とは関係なのですが、隣町である森下のカトレアのカレーパン。
昨日、このあたりに行ったついでに買いました。
何しろ、カレーパンはこの店が発祥です。
懐かしい味がする、パンの歴史を変えた、江東区の名物です。