アリス・ミラー『魂の殺人』
「教育」「躾」と正当化されてきた子どもへの「暴力」を非難した、子ども虐待のバイブルです。
「暴力」とは・・・「支配」「搾取」「侵害」という言葉にも置き換えられます。
もっと平たく表すと、「一人の人として尊重されないこと」です。
大人が子どもを人格を持った一人の人として見ないで、
「躾」だからと命令口調ばかりで言葉かけをしたり、
自分の思い通りに行動することを強制したり、
自分の都合いい振る舞いをさせたり、
自分の欲望を満たすために利用したり・・・
することは、全て子どもへの「暴力」であり、子どもの魂をも傷つけることです。
「魂の殺人」
生命は維持されていても、「魂」は殺されている。
「暴力」はそれほどの威力があります。
「教育」「躾」によって、子どもの「魂」が殺されている。
人にとって「暴力」がある生活は、とても厳しい環境であることを比喩するには、
まさに適当な言葉だと言えます。
暴力は魂を殺害するに相当するほどひどいことなのです。
しかし、私は「魂の殺人」という言葉は、実は、好きではありません。
だって、「殺人」としてしまうと、もう蘇らせることはできないのですから。
たくさんの子どもから大人の暴力を受けている(た)人たちと接していて、
その人が望めば(この「望めば」が大事)、傷ついた魂は恢復すると私は確信しています。
たくさんの人と接していて感じることは、魂はとても清らかで、美しく、儚げでいて逞しい。
どんな立場に置かれている人であっても、魂の重さは同じです。
魂は死なない。
たとえ、生命の灯火が消えようとも。
(%星%) (%星%) (%星%) (%星%) (%星%) (%星%) (%星%) (%星%) (%星%) (%星%) (%星%)
私が、いつも「もうやめた〜い!」と叫びながらもこの仕事を続けていられる理由は、
たくさんの人の魂と触れ合えるからです。
心はいっぱい傷ついてボロボロになっている人も、魂の輝きまでは失っていません。
その輝きに触れた時、言葉にならない感情に包まれます。
たくさんの魂に出逢いたくて、この仕事を続けているのかもしれないな(%音符2%)(%音符1%)