4/17、ここで予告したとおり、まじめ〜な会に出席しました。
その会も子ども関連なので、本来はその内容を報告すべきなのかもしれませんが、
また別の機会に(%ニコ女%)
その会の後、皆で食事会に行きました。
その時に、ある院生と出会いました。
その人は、「不登校」の研究をしているそうです。
飲んだ勢いもあって(連ちゃんの飲み会(%痛い女%))、つい、というか、うっかりというか、
私の不登校体験を語ってしまいました(%ショック女%)
その院生に「とても珍しい貴重なケース」と言われましたので、
今日はその貴重なケースを検討しながら、「不登校」を考えたいと思います。
まずは、【私の不登校体験】
私は、小学校1年生から2年生にかけて、学校に行ったのは半分くらいでしょうか。
いえ、もっと少なかったかもしれません。
幼稚園の頃から毎朝登園をしぶる子でした。
友達に手を引かれて泣きながら幼稚園まで歩いたことを、今もはっきりと記憶しています。
とにかく、集団が苦手なのでした(す)。(現在も)
幼稚園には楽しい思い出はまったくなく、小学校入学後はますます集団に恐怖を感じてました。
その上、「給食」がとにかく苦手で(%ショボ女%)
その原因はココに書いていますのでご覧ください。
その頃の私が「集団恐怖」「給食恐怖」を克服できたのは、3年生の時。
ある一人の女の子、Kちゃんのお陰なのです(%ハート%)
Kちゃんは、私にいじわるをしてくる男の子達をバッサバッサとやっつけてくれるわ、
私がウジウジしてたらサッと横に来て私の手をとって一緒にいてくれるわ、
「明日も来んねんで」と脅迫(?)までしてくれるので、
気づいたら、1年間欠席ゼロになっていました(%王冠%)
そして、4年生にあがる頃には、給食もモリモリ食べる、元気印の子になっていました(%星%)
Kちゃんとは今も仲良しです。
Kちゃんは今や実業家!
実は、kiralaのofficeはKちゃんが仲介してくれたのです(%笑う女%)
そんな私が考える【不登校について】
不登校と言っても、一人ひとり状況も家庭環境もパーソナリティも違うので、多種多様です。
「こうすればいい」という一般論はないではないですが、ではそれを実践すれば
必ず登校するかというと、そうではないのは言うまでもありません。
と言うと、手をこまねいてしまい、結果的に「何もしない」ということになります。
「マニュアル的に対応する」ことも「何もしない」のも、どちらも「まずい手」だと私は考えます。
では、具体的に私の例をとって説明します。
幼稚園と学校に何か問題があって登園・登校をしぶるようになったタイプではありませんでした。
とにかく体が弱く病気がちだったので(こう言っても誰も信じてくれない(%痛い女%))、
家族中が過敏になって私を無菌室状態で育てました。
早い話、超ワガママっ子だったのです(%ショック女%)
私のように、集団に適応する能力に欠いている子どもの場合、その子の成長を待つのがベストでしょう。
しかし、子どもが勝手に成長することを待つのと、成長をサポートして待つのとは、大違い。
徐々に集団になれるように、訓練だとは本人に悟られずに訓練していくことが必要でしょう。
私の場合は、Kちゃんが私のサポーター役になり、私と集団をつなぐ役割を担ってくれたのです。
こういった環境を、意図的に大人が作ってやることは重要です。
(私の場合は、偶然にそうなったようですが・・・)
実は子どもは「どうして欲しい」ということを、よく分かっている場合が多いようです。
私の場合も、「放っておいて欲しい」と母親に言いました。
私の家には教師がいましたから、「放っておく」ことができない環境にあるにもかかわらず、
よく家族が耐えたなぁと今にして思うのですが、家族は私が学校に行かないことを
しぶしぶ容認していました。
そのことが結果的に私の中に学校へ行かないことへの「こだわり」を生みませんでした。
「こだわり」ができてしまった子は、もともとの原因より、二次的な問題でしょう。
後から聞いたことですが、母親は頻繁に担任の先生と連絡をとりあっていたそうです。
その頃の担任の先生とは、今や一緒にお酒を酌み交わす間柄でして(%音符2%)
最近になって私の不登校のことを、大人同士の立場でおしゃべりします。
そしたらなんと、「私も不登校やってんよ。だからあなたの気持ちはよく分かってた」と
先生がおっしゃってくださって。
その頃の私は、Kちゃんには感謝していましたが、家族や先生がどれほど私について
悩み、考え、話し合ってきたのか、全く気づきもせず、まるで自分一人で悩み、考え、
そして学校に行けるようになったと思っていました。
でも、そうではなかったのですよね。
このように、子どもが気づかないところで、その子とかかわる大人がその子について
互いに信頼関係を持ち、一緒に考え、悩み、試行錯誤をすることが、とても大切です。
それにしても、私が気づかないところで、私に対して家族や先生らから何らかの働きかけがあって、
私はそれにまんまとのせられたのかもしれないと思うと、ちょっと悔しかったり(%ニヤ女%)
(%赤点%)ポイント(%赤点%)
学校に危険がある場合(教師からの体罰・わいせつ行為、いじめなど)、
危険因子をとりのぞくことが最優先です。
子どもにがまんさせるのはもってのほか!
【kiralaでの不登校のケース】
kiralaにも、不登校の子どもと保護者からの相談が多く入ります。
kiralaの場合、不登校になった原因がはっきりしていて、その解決を求めて相談される
ケースがほとんどです。
性的な被害を受けていて、親族から性的虐待を受けていて、親間のDV、性的加害行為をして、
性的なコンプレックスがあって、異性愛ではないことに悩んで、自分の性別にしっくりこない
などなど
不登校の背景(核心)に性の問題があることは、恐らく少なくないと思われます。
ところが、なかなか周囲には性の相談はしにくいですし、
長年子どもや家庭だけで抱え込んでしまう結果になっています。
この場合、核心部分が解決しないことには、その子の人権が大きく侵害されますので、
表面的なかかわりはかえって危険です。
子ども自身が相談できるように、子ども自身が自ら抱えている問題や悩みに対して
しっかり向き合えるように、子どもに正確な性の情報を伝えることが、大人ができる
何よりの対策ではないかと思います。
(%赤点%)これはやめて!(%赤点%)
子どもの不登校の原因が分からないため、性の問題があるかもしれないと疑いを
持つことそのものはとても大切ですが、
子どもに「性のことで悩んでるんちゃう?」なんて尋ねるのは、絶対におやめください。
お願いします。
子どもの傷をえぐることにはなっても、解決策は生まれませんので。
最後に、「不登校」は、その子の選択なので、それ自体悪いわけではないでしょう。
学校は牢獄のようで、学校に適応している子どもの方がおかしい、という意見も
あることは承知していますが、
ここでは学校の善し悪しを書くのはやめておきます。
それは私のテリトリーではありません。
子どもにとって学校というのは「社会」であることには違いありませんから、
社会適応する力をいかに育てるか、という視点から「不登校」について書いています。