「うちの子、何考えているのか分からない」
「どこで何やってんだか・・・」
そんな親の嘆きは、あちらこちらで聞かれます。
きっと、いつの時代でも、繰り返されてきたのでしょう。
でも、今ほど「わからない」と、大人がそろって真剣に首を傾げる時代は、
どんなに時代をさかのぼっても、そうないのではないでしょうか。
たくさんの10代の思春期まっただなかの彼らと接していて、確かに昔のこどもと比較して、
幼稚化しているという印象は否定しませんし、
身体も精神も脆弱だとも思います。
でも、です。
大人の見ていないところで、彼らはモノゴトをよく考えているし、
何も考えていないように見えて、実は将来を不安に思い、真剣に考えている時もあります。
大人の言動もよく見聞きしていますし、矛盾をしっかり感じています。
身近な大人には、そんなそぶり見せないだけなのです。
なぜか・・・??
彼らはこう言います。
「そんな話してる暇があったら、『勉強しろ』って言われそう」
「親にこんな話したらびっくりされる」
「ぼく(わたし)の話なんて、真剣に聞いてくれたことない」
十数年しか生きていないのに、無力感を学習してしまっているのです。
どうして学習してしまっているのでしょうか??
もうひとつ、最近のこどもの共通した特徴があります。
それは、やさしい子が多いことです。
そのやさしさによって抑圧されている負の感情が、時に鋭利な刃物となり、
その刃先を他人に向けるか、自分に向けるか、あるいは両方に向けるのです。
願わくば、刃物になる前に、感情をうまく風に流せる術を身につけて欲しい。
「勉強したの?」ではなく、
「よく頑張ってるね」
このたったひとことで、こどもの表情は随分と変わります。
でも、このひとことを言うのは、この言葉をかけられた経験が少ない人にとっては、
実はものすごく難しいのです。
「こどものキモチが分からない」と首を傾げるまえに、
大人同士でも、「よく頑張ってるね」って、お互いにねぎらいあいませんか(%ニコ女%)(%ニコ女%)