今日は、身体と性自認ともに男性で、ヘテロセクシュアルの「男」の話。

やたらと友人男性から「性の悩み」「彼女との関係」「仕事のグチ」をもちかけられることが多い昨今。
と言っても、近しい関係の人のカウンセリングができるほど器用ではないし、
たぶん、多くのカウンセラーもそうしているはずですが、
「心理職」ではなく、「友人」の立場で、お酒を飲みながら、
ぐちゃぐちゃとおしゃべりしています。

彼らにはたいていパートナーがいます。
そして、彼らは、「彼女には話せない」と言います。
でも、誰かに話したい。
彼女と同じ立場の「男性パートナーがいる、女性」の意見や考えも聞いてみたい。
男同士では、込み入ったパートナーとの話や仕事の泣き言は言えない。
などと言います。

彼らの共通した言葉があります。
「男として」

「それはジェンダーバイアス」とバッサリ言ってしまえばそれまでですが、
実はそう単純なものではないのです。
(注:「ジェンダー問題」が単純だという意味ではありません)。
根底にはもちろんジェンダーの問題が大きく横たわっています。
でも、その上には、それだけでない、様々な個人的問題、社会問題が、
非常にいびつに絡まって、ごちゃごちゃと、のっかってるようなのです。

もっとも大きな問題は、そういった深い、複雑な問題に対応できる場所が
皆無に等しいということです。
カウンセラーの商売敵は「ホステス」と言われているくらいですから、
夜のお酒の世界で紛らわせている男性も多いのでしょう。
大手企業なら、産業カウンセラーが配置されていますが、
でも、会社組織内には打ち明けにくい。
行政には男女共同参画センターに相談窓口はありますが、主に女性を対象にしています。
一般のカウンセラーでは、「ジェンダー」「セクシュアリティ」に対応できるのは極少数。
いずれにしても、男性が「男」としての悩みごとを、
専門的な立場で聴いてもらえる場所というのは、稀有なのです。

昨日、神戸市の行政で『男性が感じる様々なストレス』について話をしましたが、
思いのほかたくさんの男性が来られていて、驚きました。
「女性問題」を考える機会はとても増えましたが、「男性問題」はまだまだ少数。
これからは、「男性問題」を男女ともに考える機会が必要ですね。

「男」を生きることは、ますます難しくなってきています。
ちょうど中間管理職というポストで、自殺率が急激に増えている世代に生きる男性友人達に、
「もうそんなにがんばらなくていいよ」
「それ以上荷物をしょいこまなくていいよ」
「もう『男』をがんばらなくていいよ」
そう心の中でつぶやくしかできない私。

キララでは、カウンセリングという特殊な条件ではなく、
共に学習を積んだ仲間同士で、性別に関係なく、いろんな立場の人が、
ホンネで語り合える場を提供していますが、
世間一般でもこのような機会がたくさんあるといいですね。

コレを読んでいるわたしの友人達。
また飲みに行こね(%音符2%)(%音符1%)