「町内会に声かけてあるから。婦人部は公民館で炊き出ししてるし」
町内会にあたる東鳴子振興会の会長さん、行政区長さんの両輪に支えられ、小雨のパラつく中、毛糸で温泉街を結ぶという作品制作が始まりました。
公民館前に集まっていただいたのはカッパを来た町内の方々、それにエプロン姿の婦人部の方々、総勢で20数名。みなこういっては何ですが、かなり年配の方で、「脚立にのぼって街灯に、鳴子に集まっている9種類の泉質を表わす9色の毛糸を…」などと説明しながら、本当に大丈夫だろうかと思った私の不安などみごとに打ち砕いて、みなさんすいすいと脚立にのぼり、みごとに毛糸を結んでくださいました。
毛糸は思いのほかからまってしまう「素材」で、これが実はやってみると簡単そうに見えて案外難しいのです。
案の定、東鳴子ゆめ会議の若旦那たち10数人の協力を得、温泉街と同時進行で制作を進めていた江合川の「毛糸の橋」は、はじめからみごとにからまってしまい、これをほぐすのに制作時間のほぼ半分をとられてしまいました(それでも最後にはやりとげた彼らの活躍はすでにご紹介のとおり)。
しかしこれも年の功。温泉街を担当してくださったみなさんは、はじめのうちこそ多少とまどっていたものの、あっという間に毛糸結びを体得され、「こうやった方が早い」「この方がきれいだ」と制作はすでに町内主体で進み、私が「毛糸の橋」と行き来している間に、鳴子御殿湯駅から温泉街の端にある「いとうこけし店」までの両側を、もののみごとに結んでしまいました。
ところで、私が毛糸を使ってインスタレーション制作に取り組むようになったのは、さまざまな色の毛糸を結ぶように、町に住む人の心を結びたい——そんな内容の、オウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件の被害者・坂本都子(さとこ)さんがのこした詩を「SATOKO」というCDにして歌っている中村裕二さんと知り合い(曲はシンガー・ソングライターの国安修二さん)、音楽にできるなら美術にもできるだろうと思ったからです。
当初、仙台のアーケード街などに展示したそれは、町の心を結ぶというよりは、単に町に毛糸を結ぶというようなものでした。それが3年たち、さまざまな場所での展示をへて、ここ東鳴子でやっと町を結ぶことができたように思います。
制作に参加していただいた方はもちろん、一週間の展示の間、これを支えてくださった方々、あるいはこの企画を実現するために動いてくださった方々、みなさんのご協力で毛糸はみごとにまちを結びました。
自分たちのつくったアート作品、まちのだれそれがやったアート——そうした意識は、作り手/鑑賞者といった「垣根」を取り払い、それがいったい何であるかという作品/受け手という立ち位置からも解放されて、のこったのはまさに毛糸に象徴される関係性だけ、「結」とでもいうようなそれ。
そしてそれはやがて虹のように消えていきましたが、記憶として、それもモノとしてのそれではなく、そこにそのようにあったというコトとして、場としての記憶としてのこっていくことでしょう。
まさに「湯治場は舞台」(大沼伸治)なり、です。
(コメント:門脇篤)