アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)2006も閉幕し、報告会も終わって(またのちほどそのようすはアップしていきます)、報告会に参加できなかった東鳴子ゆめ会議の大沼伸治さんから、AAFメーリングリストへ向けて発せられた文章、ブログ読者のみなさまにも読めるようにと転載いたします。
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みなさまAAF最終報告会及び分科会ご苦労様でした。
準備をされたスタッフの皆様も大変お疲れ様でした。
東鳴子ゆめ会議事務局長の大沼です。
ちょうど、AAFの報告会に合わせて地元の温泉神社の祭典
がありどうしても出席できませんでした。
前夜祭で行う、歌あり踊りあり、劇ありの地元住民による手作り素人演芸大会
はかれこれ30年を数えます。
3年前から、AAFで知り合った深川の縁台美術家の荒野真司さんのつながりで、
深川の町内会が東京から駆けつけてくれて、演芸大会から翌日の御輿担ぎまで
一緒に祭りに参加してもらってます。
今年も男女合わせて13名の深川チームが全て自費で来てくれました。
人は減る一方、年寄りは増える一方の田舎を存分に楽しんだようです。
東鳴子を代表して報告会に参加していただいた、大場さんや門脇さんから
AAFが大切にしたいものの一つがネットワークであるという報告をいただき
また、ネットワークの分科会の仕切りが東鳴子に来て下さった下山さんである
ということにも敬意を表し、僭越ですが一言述べさせて頂きたいと思います。
いろんな意味で交流(今風に言うとネットワーク)を上手にしてゆかない限り、
東鳴子のような過疎の地方はますますさびれる一方です。
豊かな自然をはじめ、伝統文化、食など今日本が失いつつある大切なものたちが
正当な評価もされずにすたれつつあります。
幸運なことに、過疎にはかろうじて残された日本を見つけることができます。
「過疎」は「過素」・・・素敵過ぎる!
と胸を張って生きてゆけることが、地方で地べたを這うように生きている人々とっては
幸せなことではないでしょうか?
たとえ人口が減少し、高齢化してきても、足もとをしっかり見据え、住民が力を合わせ
たくましく生きている場所こそ、日本はおろか自分までも見失いかけている人々にとって
自分を取り戻す魂の場所になれるような気がします。
「過疎地域」はプラスもマイナスも最先端の場所であり続ける宿命を背負っています。
我々はそのプラスやマイナスさえも、単なる集団的思いこみに過ぎないということを
鮮烈に跳ね返すパワーを自分の手に取り戻し、辺境の一点からも日本や世界を
変えてゆこうとする気概を持つべきです。
新しいことや交流をしようとすると、必ずそこには「摩擦」が起きます。
アートや音楽等を取り入れた、東鳴子も例外ではありません。
しかし我々は、その「摩擦」こそ、パワーの源であることを思い出すべきです。
AAFでいうネットワークなるものが、たんなる全国規模の仲良しサークルにならないで
その地域地域で自分たちのあしもとを見直すきっかけとなり、それぞれに抱える
壁を自らの手でぶち破るエネルギ−へと昇華されることを望みます。
東鳴子温泉、AAF来年も是非参加させていただきたいと思います。
1年間、本当にありがとうございました。