いじめられて遺書を残して自殺する
子どもの悲劇が立て続けに起きています
本人が「いじめがつらくて死ぬ」と
書き残しているにもかかわらず
学校や教育委員会などが
「いじめがあった事実は認められない」とか
「いじめが主たる理由と認められない」などと
恥ずかしげもなく公的に発言しています
つまり死んだ子どもの遺書自体の真偽を
疑っているということになりますが
子どもが嘘を書いていると言うのでしょうか
死を決意した子どもが嘘を書いても何の得になるでしょう
子どもが嘘を書くという可能性が
一体どこにあるでしょうか
また「いじめの事実が認められない」ということは
実際に子どもが死んでいるのに
大人はだれも事前に気付かなかったし
事後も事実の確認ができないほど無能で
教育現場がまともに機能していないという事実を
どうして簡単に認められるのかが不思議です
何もないことが良いこと
これが事なかれ主義の極致でしょうか
自分たちの保身がそれほど重要なのでしょうか
保身とは既得権の死守ですか?
既得権とは社会的職業的立場ですか?
給料やボーナスや年金などの収入ですか?
それらは人の命より重要ですか?
人の命を犠牲にしてまで手に入れるべきものですか?
幼い子どもの命が失われた悲劇の上に
乗っかった個人の家庭の幸福があるのでしょうか?
<山道でリンドウに出会ったとき感動しますね>