先日、来年度の事業のための助成金の申請について地元の社協に推薦文をいただきたいとお願いした。
そして後日、担当者から申請文書中の質問を受けたひとつにこんなやりとりがあった。
「この支出の項目にある「有償ボランティア」なんですけど、最近話題になるんですけどやはりボランティアに『有償』というのはおかしいと思うんですよね。」
「ではどうすればよいのですかね」と聞くと「有償であれば『ボランティア』ではなく、『スタッフ』とされる方がよいでしょうね」ということで本意ではないけどこの部分を書き換えることで了解を得た。
実のところ、うちのNPOで『無償』ボランティアというのはほとんどない。
交通費相当分なり、些少な金額であってもほとんど必ず手渡している。
理由はいろいろあるが、障害者相手の支援というのは少なからず相手の命を預かる場面も少なくないからで、例え100円でも支払うことで支援者にも「責任」を感じてもらいたいのだ。
うちのNPOで最初に「有償ボランティア」を導入したのはグループホームからだろうか。
世話人は給料を出して雇うとしても、宿直(宿泊)者をどう確保するのかということが問題になった。
グループホームそのものには宿泊者をおかなければいけないという決まりはない。
ただ現実におく必要はあった。
しかしそこまで人を雇い入れる原資もない。
ふだん地域で介護活動をしている男子学生達に声をかけてみようと考えた。
しかし彼らは「意義」は感じてくれるのだが、何分介護活動や学校での授業など忙しく開いている時間はアルバイトをしていかなければならないという事情があった。
そこで出てきたのが「有償ボランティア」だった。
昼間の活動がすべて終わった後の午後10時から翌朝まで、これに謝礼を払うことにしたのだ。
もちろん一人二人だったら無償で来る学生もいたかもしれない。けどグループホームの生活は毎日のものだ。安定して継続していくには人手がいる。
そうしてグループホームの有償ボランティアははじまった。
夏休みの「さまーず」も最初はそうだった。
あえて日当を出すということを全面に出した。金額もちょっと奮発した。
障害児のボランティアをやってくださいって呼びかけて現実に何人集まるのか。
まずは集めてそこから育てていこうとしたのだ。
おかげで今では学生ボランティアは増えたし、サークルもできた。
そうして今、報償金も下げている。もう奮発する必要はなくなっているからだ。
今回申請した企画だって学生ボランティアを障害児の介護として30時間も拘束するのだ。
実費以外に有償であっていけないとは思わない。
ひょっとしてこれは「ボランティア」というか「スタッフ」というかの言葉の違いなのだろうか。
ある意味そうかもしれない。
しかし彼らはやはり「スタッフ」ではなくて「ボランティア」なのだ。
彼らは結局「お金」よりも「やりがい」や「楽しさ」を求めてやってくる。
その意味では純然たるボランティアだと思う。
むしろ「有償」は「ボランティア」じゃないよという線引きをする方がおかしかないか。
一言言わせてもらうと、ボラセン行ったってボランティアは得られないですよ、実際。
結論として「新しい人を開拓して方がよいですよ」ってことになります。
求める側からはしんどいですよね。「どこにいるのボランティアさん〜」って。
ところでボラセンの職員さんって、ボランティアしてるのかな?