いじめをなくすために

いじめはあってはならないこと
いじめが自殺の直接の原因とはいえない
自殺といじめの因果関係はわからない
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でもその前に「いじめとは何なのか?」
「どういうことがいじめなのか?」
「どれがいじめなのか?」
「いじめられるとどうなるのか?」
それらのことがわからない限り
またわかろうとしない限り
上に書いたことも解明されないでしょう

「ズボンを脱がされた・脱がされそうになった」というケースが
今回たびたびありましたが
「そのことがいじめなのか自殺する原因なのかわからない」
と記者会見での発言もありましたが
校長先生はご自分が誰かから無理やり
ズボンを脱がされそうになったら
どんな気持ちになるのでしょうか?
これは思いやりではなく想像力の問題です

数人でよってたかって力づくで
組み伏せられる屈辱感
今日だけでなく明日もやられるかもしれないという恐怖感
脱がされたことを他の皆に言いふらされるかもしれない不安感
好きな女の子の耳にも入るかもしれない絶望感

それはたとえ結果として途中まで脱がされたとしても
その最中は「全部脱がされるかもしれない」という
恐怖感に変わりはないはずです

それがイジメでなくてなんでしょうか?
もしかしたら校長先生の時代は
そんな悪ふざけが日常茶飯事だったかもしれません
その日によって脱がされる男子が入れ替わるなら
ほんとにふざけあっているのかもしれませんが
明るくカラッとふざけあうのと
陰湿にこっそりといじめるのは
まったく次元が違うことです

その違いがわからないとしたら
人間を相手にする教育という職業には
適性がないと思います

<ドウダンツツジが真っ赤に紅葉しています>