今日も寒かったですけれど、
いいお天気でしたネ〜(*^^*)。
今日の午前中は、私が参加するNPO(市民活動団体)
『JR八尾駅周辺のまちづくりを考える会』のみなさまと
今月24日に市主催のJR八尾駅周辺地区のまちづくり(都市計画)に
ついての説明会の会場に、私たちの活動を
紹介したり、この地区の昔の写真を展示したりするための
準備をしていました。
たくさんの書類の中から見つかった、
私が生まれるずーっと前の、私の町の白黒写真たち。
こんな写真って、ほんと、飽きないですネ(^〇^)!
右の写真は、戦後数年後に撮影された
「帝国製絲」(ていこくせいし)という工場の正面玄関です。
(安中地区に昔あった工場です)
実はこの工場、ナント私の母方のおばあちゃんが
働いていたんですっ!!!
(父方のおばあちゃんは、ずっと大阪
(確か八尾の近くの長吉六反)の方でしたが・・・。
ちなみに、私の父方の家系は、ずーっと八尾の老原地区の人です。
もう両方の祖父母は他界しております。)
大正14年生まれの母方のおばあちゃんは、
自分が好きになった男性と家族の反対で
結婚出来なかったりして、岡山から「田舎はいやや!」って、
親の反対を押し切って、戦前に、たまたま親戚がいた
八尾の安中地区に出てきたそうなんです。
(平成の世を生きる私は、好きな人と結婚できますがネ。
ホント、いい世の中になりました。あとは相手を見つけるのみ!・笑)
で、この町で親戚と暮らしながら、この工場でしばらく
働いていたそうなんです。
そのような、その時代において、
先進的な生きかた(=田舎から都会に出てくること)を
している人を、当時は「発展家」(はってんか)と呼んでいたそうです。
何ていい日本語の響きの言葉なんやろ・・・(感動)!
・・・だから私は、
「ああ。この門を、おばあちゃんは通ってたんやなー」って
なんだか目頭が熱くなりました。。。
そして、しばらくしておばあちゃんは、
どこかで出逢った男性(=おじいちゃん)と結婚し、
大阪市内で暮らしはじめ、私の母などを産み育て、
そしてその母が、大阪の本町の職場で出逢い、
結婚した男性(=おとうさん)が、偶然にも
八尾の人(しかも安中地区の近くの老原地区の人)だったそうです。
そんな感じで、私たち家族は、昔からこの町に
かなり強烈な縁があるようです(笑)。
もしかしたら、私の「八尾好き」な性格も
おばあちゃん世代以上前の時代から、脈々と
引き継がれているものかも知れないですネー♪
にしても、なんか、
ちょっとステキで、面白い話ですよネ〜(^〇^)!
その後は、仲のいい警察官のおにいさま等が
NPOで八尾の子どもたちの為に
様々な障害者の方々のことが、めっちゃ良く分かり、
理解を深めることの出来る冊子を作っておられ、
そのプロジェクトで、どうしても車椅子関係の記事の
挿絵を描く人がいないから、描いて欲しいとお願いされ、
「また八尾の子どもたちのために、ステキなことが
出来るわ〜(*^^*)」なんて、ルンルン気分で
時間を忘れて、しっかり描きました。
この冊子は、18000部印刷され、
八尾の全小学校の高学年と、全中学生に配布されるそうです。
ほんと、子どものうちから、
いろんな違い・・・カラダとかココロ(価値観)とか・・・を
認め合える、美しいココロを育んで欲しいですよね。
その一つのきっかけやレベルアップのために、
この冊子が役立てばいいなーって、めっちゃ思います(^^)。