大問題になっています「女性は産む機械」という厚生労働大臣の発言。

この発言は3つの問題を含んでいます。

○ 女性を機械にたとえ、人間として扱っていない(=人として尊重していない)。
○ 女性は子どもを産むことが当然であるという論調。
○ 「厚生労働大臣」が、少子化の本質を理解していないという面で大問題。

その後、「産む役目の人が一人頭で頑張ってもらうしかない」で、
丁寧に発言を補足されてもいます。

報道は、女性の立場に立ち、容赦なく発言と厚生労働大臣を非難しています。
たいていは、「うんうん」とうなづくものです。

でも・・・
もしかしたら、発言を聞いて、「よう言った!」と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そうでなくても、「何が問題発言なの?過剰反応しすぎじゃない?」と思う人は、
きっと少なくないでしょう。
「女性を機械にたとえるのは問題」というところで問題とお考えの方が圧倒的多数でしょうか。

今回の発言では、「少子化問題の本質」と「性のあり方」と「人間観」をあぶりだしています。

女性は妊娠・出産する身体機能を当然持ち合わせているもの、
妊娠・出産できない女性は人間として完全ではないと、おおっぴらに言われた時代がありました。
今もそう考えておられる人は、実は少なくありません。
ただおおっぴらに言う人は少なくなりましたが。
身体的な問題で、経済的な事情で、家族の理解が得られず、仕事との兼ね合いで、
その他諸事情で、
妊娠したくてもできない人、産みたくても産めない人が、日本にはたくさんいらっしゃること、
それらの人々が、またその家族がどんなお気持ちになったか・・・。
「女性は妊娠・出産するだけの存在でない」
「子どもを産み育てることと存在価値はイコールでない」
「子どもを育てることだけが人としての幸せではない」
「安心して妊娠・出産・育児できる社会」
を、今一度、考えなおす必要があるのではないでしょうか。

女性は、妊娠・出産・育児をするだけの存在ではないことは言うまでもないですね。
そして、上手に子育てすることが女性としての当然の役割という考えを押し付けることが、
虐待を増長させているという問題も忘れてはなりません。

本来、女性が妊娠する・しない、その時期も含めて、自分で決めていい存在です。
予定外に妊娠したとき、妊娠を継続するか、継続しないかを自分の生活環境や将来を考え、
決めていい存在です。
もちろん、受精卵の素である男性も当然主体的にかかわるのが理想的ですが、
女性が自分で決めることは「権利」として保障されていなければならないのです。
そして、女性の「性と生殖の権利」に優しい社会であって欲しいです。

そもそも、「妊娠」は男性の遺伝子がないと成立しません。
今の医療では、胎児を自らの身体で育み、この世に送り出すのは女性だけの身体機能ですが、
パートナーや家族の理解・協力がないことには妊娠を継続することは大変です。
そして、産まれてきた子どもを育てるのは、親や家族や社会の役割です。
今は、離婚→再婚と、家族の形態も変動しています。
自分が産んだ子ども、自分の遺伝子を受けついだ子どもと暮らさないことも、
自分とは血が通っていない子どもを自分の子どもとして育てることも
珍しいことではなくなりました。

高度に発達する医療、生き方の多様化は、
妊娠〜育児までのプロセス、子どもとのかかわり方を大きく変えています。
でも、人の意識はなかなか変わらないものなのかもしれない、と今回の発言で感じました。

さて、この発言の趣旨は、「少子化問題」だったそうです。

・女性が子どもを産まないことは問題
・産む性の女性の努力で解決できること
・今の出産可能な年齢にある人だけの問題である

と文脈から読み取れるのですが・・・
うめ〜うめ〜と旗をふっているだけで女性が子どもを産めるんやったら、
もうとっくに「少子化問題」は解決しているのんとちゃう??