いじめと日本社会
—同調主義の学校空間・自己承認の誤解生む—
*精神医療の現場では『死にたいんです』と相談に来た人に
「がんばってほしい」などと言うことは相談者をかえって
追い込むので論外とされている。
いじめられている子どもの心の問題に還元するのでなく
「他の合理的な解決策」を追求するような方向性に
もって行く必要があるということだろう(藤井誠二)
*いじめはなぜここまで蔓延するのか。わが国の国土をすっぽり覆っている、
いや日本人のDNAの中に染み込んでいるとすら思われる
「みんな一緒主義」こそ背景にあると思う。
学校では「給食も一緒、掃除もみんな一緒、運動会もみんな一緒」と
あらゆる事柄について集団行動を強要され、そこからはみ出す者は
きびしく指弾される。こうした「協調性の欠如を非難する態度から」
いじめは生じるのであって、いじめられる側の「協調性の欠如」に
原因があるわけではない。
「周囲が魔女裁判に熱病のように浮かされているとき」には
それに同調しない方が正しいように、
「協調性にはそれ自体としての道徳的価値はない」にもかかわらず
日本ではとりわけ協調性幻想が強く、そのために
「多くの人はいじめられ集団から排斥されると、もう生きていけないと
思い込んでしまう」というのである。(中島義道)
*「死を持って自分を苦しめた人に一矢を報いたい」と考える人々の間に
「死んだ後も何らかの形で視覚や意識は残るに違いない」ので
復讐の結果を自分で確認できるという想定が広がっているのではないか。
「死後の世界」の存在を無責任に若者に信じさせるメディア状況を批判する
(香山リカ)
<雲南桜草は不思議な魅力がありますね>