嬉しい報告が立て続きに舞い込みました。

「無事卒業したよ」「高校受かった!」「大学受かったよ!」っていう報告。
心が躍りました。

ひとつの大きな関門を突破したことを共に喜び、言葉にならない感情がこみ上げました。
「よくがんばったね」
胸がいっぱいになって、それしか口から出てきません。

人間って、どうでもいいことはいっぱいしゃべれるのに、
大切な時って、情けないことに、ありきたりの言葉しか出てこないものですね。

その子のがんばりが、走馬灯のように脳裏を駆け巡ります。
学校で、家庭で、いろいろあったよね。
自分を傷つけたこともあった。
人を誰も信じられなくなくもなってた。
それを乗り越えて、新しい環境へ飛び立とうと思えるようになったんだものね。
本当に、よくがんばったよ!

また別の報告もありました。

虐待や被害を受けている子や子どもの親から、相手と対峙して、暴力から逃れられたという報告。
心底安堵しました。

暴力から逃れるのは、もちろん、そんなに簡単なことではありません。
相手は自分より力や人数や年齢でかなり上回っているのですから。
何度も何度も、自分は悪くない、自分には力があるんだと確認し、
いざとなれば専門家に介入してもらえるんだという安心を武器に、相手に挑んでいきました。

そして、相手の真正面に立った時、もうその子は相手から支配されていません。
自分で自分の安全と安心を勝ち取った瞬間です。

残念ながら、そううまくいくことばかりではありません。
渾身の力を振り絞って相手に挑んでも、木っ端微塵になることもあります。
実は、その方が多いです。
支援者としても、心が張り裂けます。

でも、私たちはあきらめずに、立て直しをはかります。

様々な悩みや問題を抱えていながら、
必死に自分の人生を切り開こうとする子ども達の生きる姿に、
大人以上の、しなやかな強さを感じます。
どの子どもも、
今は悩みの渦中で、身動きとれない状態でも、学校に行けなくても、将来が見えなくても、
じっと先を見据えています。

「子どもの可能性や未来を信じる」

言うのは簡単だけれど、現実にはたやすいことではありません。

けれど、数ヶ月、数年かかわって、嬉しい報告をくれる子どもが、たくさんいます。
そんな子ども達が、私たちに「人間の可能性や未来を信じる」ことを教えてくれています。

みーんな、よくがんばったね。

ありがとう (%ハート%)