内田樹 名越康文 著 新潮社より
内田「コミュニケーションの現場では
理解できたりできなかったり
いろんな音が聞こえてくるはずなんです
それを『ノイズ』として切り捨てるか
『声』として拾い上げるかは聴き手が決めることです
その時できるだけ可聴音域を広げて
拾える言葉の数を増やしていく人がコミュニケーション能力を
育てていける人だと思うんです
もちろん、拾う言葉の数が増えるとメッセージの意味は複雑になるから
それを理解するためのフレームワークは絶えず
ヴァージョン・アップしていかないと追いつけない
それはすごく手間のかかる仕事ですよね
その時『もう少しで「声」として聞こえるようになるかもしれないノイズ』を
あえて引き受けるか、面倒だからそんなものは切り捨てるかで
その人のそれから後のコミュニケーション能力が
決定的に違ってしまうような気がする
〜中略〜
名越「結局今とても心配しているのは コミュニケーションとは
自我をはっきり持ってそれで自分の意見をはっきりと
発信できることだってことになっているんですよ」
内田「むしろ逆ですよね
何を言っているのかはっきりわからないことを
受信する能力のことでしょう、コミュニケーション能力って。
聞いたことのない語を受信することによって
『あっ、こういう言葉が存在するのか』というふうに
驚くことを通じて語彙だって獲得されるものなんですから
言いたい事をきっぱり発信するだけでいいなら
『むかつく』という言葉を小学生のときに学習して
『ああこれは自分の気持ちにぴったりだ』と思った子どもは
『むかつく』という言葉を死ぬまで言い続けて
いなければならないことになる
<ヤマブキって最近少なくなりましたね>