古郷せたがやの代官弥十郎の遺言書

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GWの今日は暑いくらいであって、半袖姿の人やホットパンツの女の子が渋谷の街を闊歩していました。

さて、先日の世田谷・三軒茶屋で行われたSEPARA上映会1周年記念イベント「古郷せたがやの千の風になって」では、世田谷の歴史映画「代官 〜弥十郎の栄光と悲哀〜」が上映され、この映画に出演し監修もされた国文学研究資料館名誉教授森安彦さんの講演もありました。

「代官弥十郎の遺言書」と題された講演で、約200年前の世田谷村の様子が少し分りました。弥十郎は、現在の静岡県袋井市の出身で、34歳(1794)の時に彦根藩の世田谷領代官職大場家(存立の危機に直面)の養子として迎えられて、代官となったようです。代官職のまま死去した77歳(1836)までの43年間の間に、「天明飢饉以来の村落の復興政策を基本に既成の諸制度を改廃止し、農民諸負担の軽減、貧民救済、潰株百姓の再興などに多くの成果を収めた」らしい。

映画が製作された1980年には発見されていなかった代官弥十郎の遺言書(実物)を示しながら森先生は、あまり幸福な人生とは言えなかった弥十郎の人生最後の「遺言書」に、彼の人生観、人柄、心情が表出されていると話されていました。
それは、以下のように解説されています。

第一条 目上に対して「恭敬専一」、目下に対しては「慈愛を加えること」
第二条 代官として、「えこひいき」「賄賂」の戒め
第三条 年貢米の流用の禁止
第四条 先祖霊祭の執行
第五条 居宅門戸の修理の備え、田畑山林の見廻りの徹底
第六条 火災・盗難の用心
第七条 質素倹約
第八条 家族・従者への慈愛
第九条 親類縁者との親交

安倍総理が唱える「教育改革」他と一部ダブって感じるのは、歴史の重みなのでしょうか。