市野川容孝(東京大学准教授・社会学)より
J・J・ルソーは「社会契約論」(1762年)の中で
彼の言うところの「社会的」な契約について
こう述べている
この契約は「自然的に人間の間にありうる
肉体的不平等のようなもののかわりに
道徳上および法律上の平等をおきかえる」
「人間は体力や精神については不平等でありうるが
約束によって、また権利によってすべて平等になる」のであると
〜中略〜
ルソーの言うように確かに自然は人間を不平等にする
白い肌の人もいれば黒や黄色の人もいる
男に生まれる人もいれば女に生まれる人もいる
障害を持って生まれる人もいればそうでない人もいる
これらの不平等や差異はみな本人の努力の結果
そうなったものではなく、だからその人個人の力では
どうにもできない部分が大きい
そうした差異を超えてあえて人々を平等にする約束のことを
ルソーは「社会的」な契約と呼んだが
その契約の1項目には人種差別や性差別や
障害者差別の撤廃が入るはずだ
〜中略〜
「格差是正』ということが日本の政治でも言われるようになった
新自由主義の批判もなされている
しかしそこでは批判や是正の対象が否定的に発見されているだけで
それらに代えて目指すべき理念を肯定的に表現する言葉が欠けている
出発点は見えていても目的地にははっきりした名前がないのだ
その名前の1つとして私たちは「社会的」という言葉を
あらためて吟味しなおすべきではないだろうか
<カラスノエンドウ咲きました>